『銀河英雄伝説1 黎明編』を約10年ぶりに読む
『銀河英雄伝説』です!
実は私、この本を10年周期くらいで読んでます(笑)
今回、何でまた読み始めたかというと、これ ↓ のせいですね!!
これ ↑ のせいで、今、旧作(とは言いたくないですが)のアニメを家族と見てます(笑)
私はやっぱり同盟派です!
『銀河英雄伝説』は大雑把に言うと、銀河帝国の若き常勝の英雄、ラインハルト・フォン・ローエングラムと、自由惑星同盟の不敗の名将ヤン・ウェンリーが闘うお話です。
ぬわぁぁぁんて、説明へたくそ!
え~と、宇宙は銀河帝国に支配されていて、そこから脱出した人たちが築いた自由惑星同盟という独立国家がありまして、両者が戦争をしているんですが、漁夫の利を狙わんとする第三の勢力・フェザーン自治領なんてのもありまして、三つ巴の駆け引きあり~の、騙し合いあり~の……というSF未来歴史小説みたいな作品です。
キャラクターも皆、魅力的です。
私の押しは、歴史学をやりたかったのに軍人になってしまったヤン・ウェンリーですが、主人公のラインハルトも美形&有能ですし、いい人の代名詞・キルヒアイス、不良中年・シェーンコップ、陰のあるひねくれもののロイエンタールほか、魅力的なキャラがいっぱい。
この作品のキャラクターたちに魅了されて、人生観の変わってしまった人って、今のアラフィー以上の世代で、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
そういう重力のある作品です。
で。
この作品は、35年くらい前の小説です。
ですから、確かに古臭い部分があります。
科学技術とか、当時のSFをとっくに飛び越していたりしますもんね、現代が。
社会通念とかモラルとかもそうです。
現代なら、絶対セクハラで嫌がられるぞ、ビッテンフェルト!
そういうのは、時代を考えるテクストとしてとらえることができます。
そう、時代です。
今回読み直していて気になったのが、フォーク准将について。
ネタバレになってしまうので、未読の方は要注意なのですが、フォーク准将という好青年とは言い難い軍人が登場してきます。
彼は病気にかかってしまうのですが、医師の説明が「わがままいっぱいに育って自我が異常拡大した幼児にときとして見られる症状」でした。
時代なのでしょうけれど、違和感を感じました。
個人的に、ヤン・ウェンリーの足を引っ張るフォーク准将は、嫌いです。
ただこの説明文は、現代においては必ずしも妥当とは言えないと思われました。
世の中にはわがままな人間というのがいて、多分、私もそういう人間の一人と思われているんだろうなと思います。性格悪いし(苦笑)
でも、わがままいっぱいに育つって、どういう環境なのでしょう。
親や周囲に甘やかされた? なんでも欲しいものは買ってもらって?
では、甘やかすって、どういう状況なんでしょう。
単に、親や周囲が、子と真剣に向き合うことから逃げて、手軽にあしらってきただけ、とも言えませんか?
一見、なんでも言うことを聞いてもらっているように見える。しかし、自分の存在そのものをちゃんと肯定してもらっていると、どれくらいの子が安心して認識しているのか?
モノやお金がいくらあっても、親が承認しているのは、親にとって都合のいい利益を生む素材としての自分でしかない……そう感じれば、子の承認欲求は満たされませんよね。
まあ、フォーク准将がそうであるとは言えませんし、ちやほやされるのが当たり前だった人にとっては、自分が世界の中心でないと苦痛に感じるのかもしれません。
一般的に、成長過程で「自分は世界の中心ではなく、辺境にある惑星の一つだ」くらいのことを学習すると思うのですが。
子どもは、親も家庭環境も選べませんので、そういうものを理由づけにした判断は、少し悲しいです。
治療も、こういう奴はどうしようもない、と投げてしまうのではなく、 オープンダイアローグとかありますしね。(詳しくはこちら↙)
あと、時代を感じたと言えば、トリューニヒト!
民主主義を掲げる自由惑星同盟の政治家ですが、やっぱり永田町民って感じで(苦笑)
今も昔も、自分たちの利益優先だよなあ……というのを非常に意識しました。
このえげつなさは、フィクションにしては馴染みがあったりしますしね。
この記事を書きながら、そもそも私がこの作品にハマった理由を思い出してました。
それは、ラインハルトもヤン・ウェンリーも、世襲制を批判していたからなんですね。
個人的な話ですが、私の実家は商売をしていて、それを継ぐよう親に迫られてました。
でも、私にはその商才も能力も度胸もないってわかっていたので、ずっと嫌で嫌で。
「親が有能でも子や子孫が有能とは限らない」という彼らの言葉が、すごく嬉しかったんです。
親子とはいえ別人格です。
親が「〇〇くらいできて当然」と、自身の能力を子に強要するのはおかしいだろう、とずっと思っていました。
「〇〇くらいできて当然」というのは、甘美な麻薬の如きセリフです。
言っている本人は、相手を𠮟咤激励するつもりなのでしょう。
しかしその言葉は、できない相手を貶め、踏みつけ、できる自分を自画自賛しているにすぎない。
心が弱いときほど、人はこの言葉を使う誘惑に負けてしまいます。
でも、言われた方は、たまらないですよね。
実はそういう凹みシーズンがやってくると、この本を読んで、毒を吐きながら立ち直ってました、私。
だいたい10年周期で読んでます(苦笑)
現代は、忖度とか空気を読むとか、個人を縛ってくるものが多くて、本質を見失いがちになります。
私は、ヤン・ウェンリーだったらどうするか的な思考を、若いころにいっぱいしましたので、マイペースでブルドーザーみたいな中高年になりました(苦笑)
あなたは10年後、どんな大人になっているでしょうか。