2011年の桜はとてもやさしかった
今週のお題「お花見」
私はシングルマザーなので、会社のお花見には参加していません。
家族を置いて、夜、楽しめないですし、そもそも下戸だし。
それでも、通勤の道すがら眺める桜には、心が洗われています。
私、花を愛でるような趣き深い人間ではないのですが。
実は、家族が学校から持ち帰った鉢植えを、枯らしたこともあったりして(>_<)
桜って、やっぱり特別な花なんですかね。
加えて、毎年桜を見ると、2011年の桜を思い出すようになっていました。
あの年。
私は今とは別のブログ、別のツイッターをやってましたが、全然更新する気になれなくて、何かを感じるという感覚すら麻痺してしまったような状態で、開花した桜に出会いました。
私だけではない、多くの日本人がそうだったのではないかと思います。
桜が咲いている。
桜が咲いている。
だから? きれい? きれいって何? え~と。なんだっけ?
とりあえず写真とる? 撮ってどうする?
気の利いたコメント? そんなの、どうやって出てくるの?
私はばかだ。あほうだ。頭がどこかに行っちゃってる。
でも、桜は咲いているよ。
ただ、ただ、そこで、咲いている。
どんなに人間が弱さをさらけ出していても、あきれて花を閉じたりしない。
泣いても、あの震災の前に戻してほしいと願っても。
桜は、ただそこで咲いている。
こんな ↑ ことを考えてました。
近年、うちの近所でもあちこちで桜が折られていて、今日も1本の大木が切られているのを見ました。
勿論、それぞれ事情があってのこと。部外者がとやかく言う資格はありません。
ただ、折られた枝が、泣いているように見えただけ。
多分、伐採業者の方も、「もったいないな」と思いながらの作業だったのかもしれません。
今年も、桜は弱い人間を見下ろしてくれます。
見上げる安心感を与えてくれます。
無事に桜を愛でることができる、その幸福に乾杯。