6月1日は『銀英伝』的喪中にて……テロとの闘いを『銀英伝』的に考える
こんにちは、ほんのよこみちです。
6月1日は、『銀英伝』的喪中です。
うちの子のお友だちにも、ノイエから入ってノイエしか見ていない方もいらっしゃるので、ネタバレはいたしません。
ですが、『銀英伝』は戦争を含む政治の物語なので、当然、人間が死んでいきます。
いい人も、すごくいい人も、くせのある人も、味のある人も、関係なく死んでいきます。
で。
「テロとの闘い」というと、「テロに屈するな」というスローガンのもとに、テロリスト殲滅戦をイメージしてしまいます。
同時多発テロ後の、ブッシュ大統領(当時)の映画さながらの演説が、強烈だったのかもしれません。
その後のテロとの闘いって、だいたいそういう方向性ですしね。
『銀英伝』でも、テロリストをそのまま許すということはありません。
田中芳樹氏は宗教団体がお好きではないようですし、宗教に傾倒した理由を鑑みて配慮……的な情状酌量もありません。
行為そのものを憎む。
テロ行為は絶対悪である。
そういうことなのかもしれません。
しれませんが、複雑に絡み合った世界情勢や歴史を紐解いていくと、そもそもの個人個人は、「幸せになりたい」と願うただの人なのではないかと感じます。
仕事があって、健康で文化的な生活を送れるなら、暴力行為に走る必要も生まれなかったかもしれません。
『銀英伝』では、テロでは歴史は変わらないことを証明することが、残された者たちの課題のようになっています。
志を曲げない、というと、場合によっては狂信的にもなりうるのですが。
『銀英伝』における6月1日の場合は、民主主義を守る、ということですから。
遺族としては、民主主義とかより故人の命の方が大事、というのが本心でしょう。
ですが、残された者たちが、多少背伸びをしてでも、民主主義を守るためにできることをしていきます。
社会システムとして、資本主義がベストであるとは言い難い部分は、確かにあります。
ただ、民主主義は、政治の最終的な責任は国民にあるという点で、専制君主制よりマシということですね。長期的視野に立ってみれば。
なので、私も『銀英伝』では、同盟派ですし、民主主義を諦めません(苦笑)
日本の政治って、石黒版の頃(30年前)に三流と世界で言われてから、進歩しているとは言い難いのですがね。
個人的には、テロリストの排除ではなく、テロの温床を作らない宥和政策としての機会均等を望みます。
自分の利益が奪われる危険性から、他人を排除しようとするのでは、排除された方はたまんないよなあって思うんですよね。
自分と違う意見の人も排除しないのが民主主義だし。難しいですけど。
特に、自分の利益しか考えてなくて、そのために他人を蹴落とそうとする人とか、ほんっと排除したくなりますけど、それでも排除しないのが民主主義ですもんね。
ということを肝に銘じて、今日も一日頑張ります(苦笑)
ご一読有り難うございました。
注:喪中の詳しくはこちら
あと、これですね。
honno-yokomichi.hatenablog.com