『東大教授が教える独学勉強法』を読んで、学校教育に疑問を持つ
こんにちは、ほんのよこみちです。
ずっと気になっていた『東大教授が教える独学勉強法 (草思社文庫)』を、やっと読むことが出来ました!
もっと早く読めば良かった! と思える本でした。
タイトルだけ見て、最初は疑ってたんですよ。
どうせ、東大に入れるような頭のいい人専用の独学本じゃないの? って。
頭のいい人のノートはこうだっ! みたいな本も読みましたけど、私には参考にならなかったし……。
でもこの本は、高校時代をブラジルで過ごしたがために独学をせざるを得ず、大学もシンガポールで過ごしたがために通信制にせざるを得なかった、柳川先生ご自身の経験則から来ている本でした。
え? やっぱり頭のいい人の勉強法じゃんって?
結果的にそうかもしれませんけど、これはつまり、不登校の子とか、非正規雇用で働くが故に研修を受けられない私とかが、自力で勉強するのと同じ状況では? と思ってしまったのですよ~!
この本で、「要約はするな」と言われているんですけど、あえてポイントを要約するなら(苦笑)
① テキストには合う合わないがあるから、自分に合うテキストを探せばいい。テキストを読んでもわからないからといって、自分は駄目だと思う必要はない。
② テキストを読んで、理解の早い人とそうでない人がいるが、早い人が頭がいいわけではない。理解の遅い人の方が、深い勉強ができる場合もある。
③ テキストに書かれてあることを、疑え。
④ 自分の理解を疑え。
⑤ 学んだことはアウトプットしよう。
こういう感じでしょうか。
ね? 東大生専用ってわけじゃないでしょう?
この本を読んでいて、③のテキストに書かれてあることを疑え、というのが、すごく心に残りました。
以前の記事にも書きましたが、私は小論文が好きです。
honno-yokomichi.hatenablog.com
なんですけど、大学のテストなどで、「教授の仰ったのはAだが、私はBだと思う」というように書いてしまうと、もう全然点数もらえなかったりしませんか?
私は、大学1年の前期テストでやらかして、なんだ大学もそうかとショックでした。
先生のお説絶対主義、みたいな感じが、なんか腑に落ちなくて。
思えば、義務教育からずっと、なにか異論があったとしても、先生全肯定・生徒全否定ではないですか?
例えば、歴史の勉強など、私が好きで学んでたことを家族にあれこれ吹き込んでいたんですよ。
で、その学説と学校教科書の説が違うことがあって、うちの子が先生に質問に行ったんですよね。
結果、先生から全否定されて、すごくショックを受けて帰ってきました。
歴史なんて、「いろんな学説がある」で、決着のつかない論争なんてたくさんあるのに、そういうのを認められる懐の深さがないんですよね、学校教育には。
そういうふうに、先生全肯定で「お説ありがたや~」で刷り込まれることが勉強だと思っているから、異論を唱える奴は駄目だ、と生徒全否定になるし、だから思考停止になるし、子どもたちの自己肯定感が高まらないし、あ~もう、だめだめじゃん?
だから、独学ですよ。
学校に行ってようが行ってなかろうが、興味のあることを独学する!
テキストがわかりにくければ、いろいろ試してみる。
ちょっとわかってきたら、これって別の状況だと成り立つ? とかって疑問を持つ。
で、その疑問いついて考えられるようなテキストを、また読む。
勉強とは、公式とか年表とかを覚えることじゃなくて、考えることですから。
本当はもっと楽しく、人生を豊かにするもののはずなんですよ~。
ということで、この本はすごくよかったので、おすすめします!
学校に行っていようがなかろうが、学生だろうが大人だろうが。
学び続けなければ生き残れない時代だからこそ、独学は面白いと思います。