ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

エッシャー展を見に行ったのに、ついフィッシャー展と言ってしまう……

3連休で『ミラクル エッシャー展』を見に行ってきました。

 

www.escher.jp

 

7月29日までです! あとちょっとです!

暑さ+混雑で、すごく疲れました!

でも、見に行って良かったです!

 

 

エッシャーというと、だまし絵ですよね。

あの、構造を考えだしたら、頭がこんがらがってわけわからなくなるような、不思議な絵。

この展覧会では、絵画の鑑賞者に挑戦していない、普通のエッシャーの絵も見ることができます。

年代を追って見ていくと、いつ頃から絵が変わっていったのか、その頃のエッシャーの心持ちはどうだったのか、音声ガイドをきかなくても、なんとなくわかるような気がします(要するに、私は音声ガイドを利用しませんでした)。

彼女が出来た頃の作品は、なんか生き生きしてるとか!

闇落ちした頃って、人間関係で苦悩してたのかな、とか。

 

 

闇落ち、とか、病んでる、とか、結構見下した感じで言いますよね。

まるで、落ちても病んでもない状態が、勝利の条件であるかのように。

でも、多くの人が行列に並んででも見たいと思う、そのエッシャーの絵は、明らかに闇落ちした後の作品です。

有名だから……という以前に、やっぱり独創的ですし。

不思議なエッシャーの絵の世界を、エッシャーの頭の中を、体験してみたいとでもいうような。

ちょっと気持ち悪い絵もあります。

ありますけど、単なる風景画よりも、人を惹きつける何かがあるんですよね。

ネガティブ・パワーって、芸術にはすごくプラスなんじゃないでしょうか?

 

 

先刻から、「絵」って言ってますけど、エッシャーの作品ってほぼ版画ですよね。

木版画、学校の授業でやって、豪快な作品を作った気がします(要するに雑)(;^_^A

版画の手法にいろいろあるのも、私にはよくわかりません。

が、これだけの表現ができるのって、よっぽど細やかな性格で、作品に対する貪欲さがないと、でしょう。

作品を見ていても、人間より建築物に興味があるんだな、と思わせる作品が多々あります。

何故って、建築物の精密さに比べ、人間がぺらんと描かれているように見えたので。

まあ、実際彼は建築を学んでますし、数学とか物理とかの視点をもつ理系頭のように見えますし、知識と興味のある方へ吸い寄せられるのは、当然っちゃ当然なんですよね。

肖像画などは普通にうまいので、絵はうまい人なんだと思います。

でも、建築物に比べ、何だか人間を信用していない感じがすごくして、他人の決めた常識にはまるのを嫌がっているようで……。

嫌がるにしても、これだけの作品を作ってしまうのですから、すさまじいパワーです。

 

 

あ、ネガティブな感情云々は、私の想像ですけどね。

そもそも芸術に限らず、何かをなそうとする人って、現状の枠を破壊してなんぼっていう人たちじゃないですか。

空気を読んで、波風立てないように、自分を殺して……なんてやってたら、何もつくれません。

他者の尊厳を守ることと、空気を読むことは、違いますからね。

文句だけ言って行動しなけりゃ、芸術作品も技術革新も生まれない。

 

 

作品を見ても、どうしても自分に都合のいいように解釈してしまう、人間って弱い生き物です。

だから、自分の目で見て確かめる必要があるし、考える必要がある。

誰かが書いた解説書を読んでも、それは誰かの解釈であって、自分の解釈ではない。

行動するって、自分自身を守ることでもあるんですね。

薄っぺらなきれいごとに呑み込まれないように、自分で見て、聞いて、考えて、自分を失わないようにしたいです。

 

 

フィッシャー展、行って良かったです……って、フィッシャーはヤン艦隊の生きた航路図だっちゅうに!(©田中芳樹銀河英雄伝説』)