『反省させると犯罪者になります』の理念は、生きづらい社会をわかりやすくしてくれます
こんにちは、ほんのよこみちです。
反省させると犯罪者になります (新潮新書) を読みました。
非常に重い本でした。
何が重いって、読みながら、自分の過去の悪行と向き合わざるを得ないからですね(-_-;)
この本を読みながら、いろんなことを考えてました。
学生時代、からかいを辞めなかった同級生をひっぱたいたこととか。
小学生だった息子の過ちに対し、「反省の言葉はいらないから結果で示せ」と言ったこととか。
不埒な悪行三昧~(高橋秀樹風に言っても、誰もついてきてくれないだろうなぁ……)
悪いこととか、過ちを犯したら、反省する。
このことに対して異を唱える方は、少数派ではないかと思われます。
芸能人がカメラの前で謝罪する、企業のお偉方が並んで頭を下げる、汚職をしたり失言をしたりした議員が、謝罪・前言撤回をする(まあ最近は、謝罪も説明もする気のない国会議員も多いですが)。
そういう光景が当たり前になっているので、我々は何か問題を起こした相手が謝罪会見するのを、待つようになっています。
でもね~。
そういうのって、本当に心から反省しているんですかね? それがこの本の立ち位置です。
私は学生時代、からかいを辞めなかった同級生を、ひっぱたきました。
今だったら、停学・退学ものでしょうけど、何の問題にもなりませんでした。
相手の子は当然びっくりして、泣きました。
教室の中でやったので、何人もの女子が相手の子に寄り添っていました。
でも、悪かったという意識は、私の中にはありませんでした。
辞めてと言ってもからかい、紙で頬をぴしゃぴしゃやってくる、その彼女の楽しそうな表情は、今でもおぼえています。
もちろん、本気でひっぱたいてなどいません。
手加減はしてたし、力も入れてません。
でも、こんなに長い間、心の中にひっかかっているのに、罪の意識がないのはなぜなのか。
この本で深く説かれているのは、そういう人間心理についてです。
そして、本音で語り合う場も、自分の本音を受け入れてくれる相手も、見つからなかった。故に反省に至らないのではないか、と説かれています。
人は、自分が悪かったと認めることができないほど、弱い生き物です。
言い訳を考えてしまったり、怒られなきゃいいやと舌を出したり、形だけの反省文を提出して「ああ終わった」と忘れてしまう、その低きに流されやすい生き物です。
「自分の弱さに負けて、犯罪を犯してしまった」という文章にはよく出会いますが、そもそも弱いんですから、それは反省文じゃないんですね。
なぜ、そういう行動をとってしまったのか。
言い訳から始まってもいい、自己正当化を繰り返してもいい。
ならばなぜそう思ったのか、周囲が悪いなら、なぜその仲間とつるんでしまったのか、どういう嫌なことがあったのか……。
そういう対話を重ねていくことが必要だと、この本の著者は訴えておられます。
相手の言葉を遮ったり否定したりすることのない、相手の言葉をすべて受け止める受容者が必要だと、仰っておられます。
これは、社会の仕組みそのものに対する挑戦状ですね。
学校でのいじめについても、現状は、両者から事情聴取をして、謝罪の儀式をして終わり、です。
なぜいじめてしまったのか、その心理を探っていくことをしないので、いじめた子は腹いせに報復する。その気持ちを教師が理解していない。
いじめた子にはその子なりの理由がある、そんなの当たり前じゃないですか。
それは、いじめられた子が悪いとか言うのではなく、いじめた子の家庭環境が大変だったり、その親も虐待の被害者だったり、そういう要因ですね。
なので、反省文を書かせたところで、いじめた子に罪の意識を抱かせるのは無理で、それより自尊心を破壊されたことによる被害者意識ばかりが増大し、報復に出る権利があると勘違いさせてしまう。
だから、学校のいじめ対策は、いじめ増殖作戦になりかねないということです。
そうやっていろいろ考えていくと、結局、子どもを早くから大人の作った枠にはめ込み、あれこれ強制し続ける……これが良くないんだな、ということに気づきます。
大人だって、問答無用で強制されると、反発したくなります。
でも、枠に自分を合わせなきゃいけない、反発したらみっともない、そう思って我慢するから、いろいろ自分に無理をさせてしまう。
同じ行動でも、自発的にやることは全然苦にならないのに、強制は苦しい。
まして、自発的にやりなさい、なんて命令されると、表面的には自発的なふりをしつつ、心の中では「くっそー」と毒づいてたりする。
それが、人間ですよね。
私も、自分の話を受け止めて下さる方がいれば、嬉しいです。
だから、なるべく自分も、そういう人間でありたいと思いました。
もちろん、弱さを盾にして寄生してくる人はこりごりですから、そういう人はごめんなさい、ですけどね。
この本は、親として、一人の人間として、非常に考えさせてくれるよい本でした。
機会がございましたら、ご一読下さいませ。