「甘える」「弱音を吐く」ということが難しくなっているけれど、「頑張る」だけではもたない……ということを考える
このところ、Twitterやブログで、弱音を吐いたり他者に甘えたりというとこの難しさを、多々目にしています。
いえ、今に始まったことじゃないんですけどね。
ご本人が、本当に辛くて叫んでいるのに、「みんな我慢している」という反応が返ってくる。
限度を超えて甘えてくる人は無視していい、というツイートに、いいね!がすごい。
まあ、気持ちはわかりますけどね。
実は私は20代前半くらいまで、親しい友人にはべったり甘えてしまうタイプでした。
正直、距離の取り方がわからなかったんだと思います。
何故か。
両親が子どもである私の甘えや主張の一切を却下していたからだ、と今になってみればわかるのですが。
だからといってどうにかなるものでもなく、当時はもやもやが蓄積されていくばかりで。
「甘えるべきではない」と、先輩に言われて、突っ張って、強い人間になろうとしたり。
なろうとすればするほど、どんどん強くなっていって、当時付き合っていた男性からも「弱音を吐くなんてらしくないね」と封じられたり。
「すぐ人に甘えるのは駄目。自分で解決しないと」と諭されたり。
これらは、あながち間違った意見ではないのでしょうが、その加減がわからないものですから。
以後、一切の「甘え」「弱音」を封印しないと怖くなりまってしまいました。
今の時代って、こういう人間が多いのかなあと思ったのは、この本を読んでいたからですね。
この本は、岡本茂樹先生の遺稿で、内容的には、以前記事にさせていただいた、
反省させると犯罪者になります (新潮新書) と重複する部分もあります。
honno-yokomichi.hatenablog.com
重ねて読むと、誰が犯罪者になってもおかしくない社会というのが見えてきます。
大人が良い子に育てようとすればするほど、それが抑圧となって、子どもを追い詰める。
まず、根本的に家庭環境に問題の全くない人はいない、という前提が存在します。
どんなにお金があって、裕福な生活が出来る状況であっても、またそうではなかったとしても、何のストレスもなく成長できる家庭環境は、存在しません。
親も人間ですから、神様じゃないので。
特に今、失敗が許されないと思わされていますから、親も子も失敗には過剰な反応を示しますよね。
失敗が怖いから、万全の準備をしたくなる。
でも、どういう準備をすればいいのか、実は誰にもわかっていない。
だから、過去の成功体験にみんなしがみついていく。
時代が変わって、昔の常識が通用しなくなっているのに、どうしたらいいかわからないから、気づかないフリをしている。
みんな怖いから、びくびくして、とても誰かに弱みを見せるなんてできない。
だから、さらにストレスがかさむばかりで。
いつ爆発してもおかしくないくらいストレスを溜めまくっていたら、そりゃ攻撃的にもなりますわな。
そして、犯罪者のできあがり、と。
だから、ストレスを吐き出す場というか、本音を言える相手が必要になるわけですけど、その甘えるということが苦手な人が多い。
これは、世代間連鎖だと思うんですけど。
親に甘えられなかった人が親になっても、甘えるということがわからないわけですから、子どもをうまく甘えさせられない。
物を買い与えることが、イコール甘えさせるじゃないですからね。
日本人には、意外と難しいのかもしれません。
だから、甘えるのが下手で、思考停止して全依存もやらかしてしまう。
重い、と言われるような、寄生状態ですね。
こうなると、個人では対応できなくなりますので、状況は厳しくなります。
でも、どうしたらいいか、わからない。
岡本茂樹先生は、「何故自分はそう思ったのか」を過去に遡って振り返ることが重要だと説かれています。
その振り返りを受容してくれる誰かの存在が、大切だと。
振り返ること自体は、自分ひとりでも出来ます。
辛く、苦しいことですが。
これまでの人生とか、自分の全てを、ある意味否定するようなことにもなりますから、辛いです。
その辛さを共有してくれる誰かの存在は、そりゃ有り難いですよ。
ただ、みんないっぱいいっぱいだから、甘えられない。
重すぎる。
だから、専門家を頼ろうとするんですけど、自分と合う専門家に出会うことも難しいですからね。
カウンセリングに行って、とんちんかんな反応に四苦八苦することもしばしば。
悩むところです。
ならば、どうしたらいいのだろう?
私には、目の前にいる人の気持ちを受けとめることしか出来ません。
できればそういうグループを作って、みんなで受けとめる仕組みづくりをしたいのですが、それは家族に反対されているので……。
また、貪欲な人に食い尽くされるかもしれない、その恐怖はありますが。
だから「自分は弱者だから仕方がない」と自己弁護しかしない人には、距離を置くしかないのですが。
それでも、辛い思いをしている人に、「甘い」とはもう言いたくないのです。