ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

「不登校は甘え」「いじめは思い込み」と言われた時、どう考えるのか。

先日、日本に住む外国人のAさん(仮称)と話していて、言われました。

 

 

「学校の枠にはまるのがキツイから嫌、なんて甘えですよね」

「いじめられたから相手が悪い、ってそれは自分の思い込みですよね」

 

 

うちの子が不登校であると話したあとの言葉です。

これだけ読むと、非常に辛辣だとしか受け取れません。

心の弱っている人が言われたなら、折れてしまいそうな正論。

 

 

Aさんの趣旨は、多分こうなのでしょう。

 

学校の先生が悪いとか、意地悪する子が悪いとか、そうやって都合の悪いことを全部他者のせいにして逃げていたら、この先もどんどん逃げ続けるだけでは?

他者にああして欲しいこうして欲しいと思ったって、そんなの腹が立つだけだから、求めすぎというもの。

枠にはまりたくないと言っても、この世は全て枠ができているのだから、枠にはまらずには生きていけないでしょう?

 

だから、甘えだと。

 

 

正直、聞いていて辛くなりました。

言われたことが強者の論理だと、自分にも身に憶えがあったからです。

上の子が中学不登校になった時、似たようなことを言って、上の子を追い詰めました。

結果、我が子の逃げ場をなくし、ひきこもらせてしまいました。

 

 

だから、でも子どもは傷ついている、と説こうとしてしまいました。

岡本茂樹先生の犯罪者心理についての考察も、提示しました。

 

honno-yokomichi.hatenablog.com

 

honno-yokomichi.hatenablog.com

 

 子どもが自分の願望と向き合うことで、満たされなかった愛情を自覚し、その理由を想像しながら、自分にも他者にも素直になれるようになる。

その更生プロセス上、必要なことだから、自分が本当は親からどう対応してもらいたかったのか、掘り下げていく必要がある。

 

 

なんですけど、その理論も通じませんでした。

甘えですよ、と。

 

 

Aさんは別に友人でもなんでもなく、ただ顔馴染みになったショップの人というだけなので、本当はこんなに深入りすべきではなかったのでしょう。

にこにこ笑って話しを終わらせれば良かったし、実はそうしようとしていました。

納得していなかったのはAさんの方で。

否、それも私の思い込みに過ぎないんですけど。

 

 

ただ、何でも「甘え」「思い込み」で突き放してしまうと、人によっては立ち直れなくなってしまいます。

突き放しているというのも、私の思い込みかもしれないですけど、だからといって容認しているとは思い難かったので。

擁護するなら、Aさんは「双方どちらも悪くないんですよ」と言ってましたが、善悪と肯定(容認)は距離が違う。

だから、私には冷たく突き放しているように思えたんです。

 

 

それがとても悲しくて。

帰りのバスの中で、ずっとタブレットに向かって考えていました。

Aさんは、なぜあのように考えるのか。

思いつくる文章は、Aさんの言葉の暴力性を訴えるものだったり、ハラスメントの概念には相違するだろう、だったり。

でも、あそこまで頑なに「甘え」と主張する裏には、何かがあると勘ぐらずにはいられません。

 

 

Aさんは、幼少期に両親とともに来日し、以後、日本で育ったそうです。

母語は日本語ではないかもしれませんが、母語のように日本語を話してらっしゃいます。

我々と同じ東アジア出身なので、外見的には同じ東アジア人です。

 

 

なので、子ども時代にはいじめにあったことがあると仰ってました。

仰ってましたが、それ以上のお話はなく、気にしないようにしていたとか、そういうふうな状況だったとお見受けしました。

 

 

ああ、そういうことなのかもしれません。

Aさんのご両親は、仕事上の都合とはいえ、異国に来て、ここで生きていくと決められたのでしょう。

故に、我が子であるAさんにも、日本社会に自分を合わせるよう、教育したのかもしれません。

どんなに苦しくても、辛くても、逃げ出したくても、「日本人に合わせる以外、生きる道はないよ」と、そう指導したのかもしれません。

他の外国籍を持つ日本在住の方にも、とても謙虚で控えめで気配りの素晴らしい方が、何人もいらっしゃいます。

日本で、外国人として肩身の狭い思いをしながら、耐えて耐えて耐え続けて、だからもう期待もしないし望みもしない。

そんな思いをしながら、歯を食いしばって生きてきたのなら、弱者に厳しくもなろうというもの。

自分自身が本当に辛かったとき、誰にも助けてもらっていないのでしたら、そりゃ「甘い」とか言いたくなるでしょうよ。

日本にいれば、日本人の親を持っているというただそれだけで、Aさんより優遇されるわけですから。

 

 

そこまで考えが至ったとき、後悔しました。

なぜもっとAさんに優しい言葉をおかけしなかったのだろう、と。

私はAさんの言葉を封じようと、「甘え」という考え方を変えさせようと、そればかり考えていた。

なぜAさんがそう思うに至ったのか、いたわることができなかった。

 

 

Aさんも被害者だったわけです。多分。

報われない人は、自分より優遇されているように見える人は、許しがたく感じる傾向にあります。

許せば、自分のこれまでの人生が、虚しくなるじゃないですか。

あんなに歯を食いしばって我慢してきたのに、実はもっとラクにやり過ごす方法があって、でもそれを自分は得られなかった!

自分の苦労は、単なる無駄骨だったのか⁈

 

 

本当は、どんな人生も無駄ではなく、その人にしか得られない財産だと思うのですが。

人は、弱っているときほど、寛大にはなれなくなります。

Aさんもお疲れだったのかもしれません。

ひょっとしたらご自身に言い聞かせるつもりで、言ってしまったのかもしれません。

悪い人ではないと知っているだけに、Aさんを追い詰めてしまったことが、無念でなりません。

 

 

言葉尻をとらえて、この人とは合わないかも……と考えることは簡単です。

でも、それを繰り返していたら、対立ばかりが生まれてしまう。

相手の意見を変えることは、自分のそれを変える以上に、難しいことです。

だから、この人はなぜそう思うのか、ということを考えることの重要性を、Aさんは教えてくださいました。

 

 

そしてそれ以上に、このくにで生きるということはどういうことなのか、あらためて考える必要があると思いました。

多分、それが私の最後のライフワークとなるでしょう。

だって、このくににいる以上、何を考えてもそこに行きつくのですから。