「何も成さない」という生き方でもいいじゃないか、と祖母の人生から思う
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
敬老の日が9月半ばを漂流するようになってから、一気に「敬老の日」感が消滅してしまい、うっかり忘れておりました。
先の月曜日が、敬老の日だったんですね~。
ということで、私の母方の祖母の話を少々。
母方の祖母は、今から20年前に亡くなりました。
大正10年くらいの生まれ。
いわゆる田舎の下町のおばちゃんという感じの人で、若いころは、朝から晩まで工場で働いていたようです。
祖父との暮らしは裕福という感じではなく、でも食べるのに困るほどでもなく、あの頃によくいた昭和の人。大正生まれだけど。
特別な技能とか才能とかがあるわけでもなく、何かを成したわけでもなく、社会の片隅でひっそり生きて、ひっそり死んでいくような、そういう大衆のひとりでした。
そんな祖母が20年前に亡くなったとき。
お葬式に地元の顔なじみの人たちが、たくさんお別れに来て下さいました。
葬儀場は、田舎のことですから、公共交通機関の通っていない、マイカーかタクシーでなければ行かれないような、あたりには怪しい店しかないようなところ。
なのに、本当に一庶民に過ぎないのに、「仕事関係の人がたくさん集まってくる葬儀」くらいの人数の方が、来て下さったんですね。
それを見た介護職員の夫(当時)が、「さすがおばあちゃんだね。町内でおばあちゃんのことを悪く言うお年寄り、いないもんね。みんなあの人はいい人だって」
祖母は、幼くして両親を失い、親せきの家にお世話になったそうです。
大正から昭和初期のことですから、女に学問はいらない、という時代だったのでしょうか。学校にも行けなかったらしく、ひらがなすら書くのに難儀をしていました。
祖父と結婚した後も、働き詰め。昔は労働基準法もなかったようですし。
それでも、親との縁が薄かったのを埋めるように、誰にでも親切にする人だったようです。
町内の商店も知り合いばっかりで、一度買い物に出かけたら、あちらこちらの店先でつかまって立ち話するものだたら、いつまでたっても帰れない。
すすめられるままに、余計なものまで買ってしまう。
祖父が山の上の病院に入院した時は、駅から病院までの無料送迎バスのドライバーさんに、「いつもタダで乗せてもらって悪いから」と野菜を袋に入れてお渡しする。
運転手さんは病院からお給料もらっているよって伝えても、「悪いわね」と差し入れを続ける。
抜けてるというか、いいカモになってるというか、身内としてはあ~あという感じだったんですけど。
だから、祖母がそんなに好印象を振りまいていたなんて、亡くなるまで気づかなかったんですね。
私はいつのまにか、効率優先の拝金主義でしか、物事を考えられなくなっていました。
他人との差別化をはかって、他人がやらないようなことをやって、結果を残して、何かを成さなければ生きている意味がない。そう思っていました。
でも、多分、私の葬儀で「いい人だったね」と言ってくれる人はいないかもしれない。
良くて「面白い人だったね」「変わった人だったね」。下手すると「めんどくさい人だったよね」「うるさい人だったよね」。
そんな人生で、果たして自分は幸せなのだろうか……。
祖母は私が小さいころ、ソフトクリームの屋台で働いていました。
いい人だったので、「大きい方がいいでしょう?」と、コーンの端までアイスを詰め、普通は3段くらいに盛る上部も5段くらいに盛って販売していました。
子どもはもちろん、大人の男性ですら食べきれないくらいのソフトクリーム💦
当然、採算は取れず、会社から叱られてクビになります。
今なら「巨大ソフト」として売り出して、値段も盛り盛りにして、3分で食べきれるか⁉ みたいなイベント化して、いろいろ商売のやり方もあると思うんですけどね。
「無償の愛」、なんでしょうか。
祖母の行動を振り返っても、自分が得する要素ってないような気がするんですよね。
「ありがとう」と言われることが、祖母自身の得と言えばそうかもしれないんですけど。
しかし、金銭的には、全然祖母の得にならないようなことばかりではないかと。
祖母は何かを成したわけではありません。
それどころか、何も成さず、社会の底辺で生きてきたただの大衆です。
なのに。
祖母の生き方が、とても高いところにあるように思えるのです。
私のように欲にまみれた俗物には、真似の難しい生き方のように見えるのです。
祖母が亡くなって20年。私も記憶の中の祖母の年にだんだん近づいてきています。
人生も後半戦になり、今から何かを成すのは無理なんじゃないかと、薄々気づく年になっています。
何も成さないまま終わる人生だとしても、だからこそ、成さないなりの生き様がある。
死んでまでも活用するみたいで申し訳ないけれど、祖母の生き方を振り返ることで、括れる腹もあるのでした。
ま、ふつうのおばちゃんでしかない人の孫が、すんごい超人的に有能なヤツになるわけないですって(^▽^;)