どうしても読まなきゃいけない、と思った『「小児性愛」という病』を読了する。
ほんのよこみちです。
前回『エレンディラ』を読んで、どうしてもこれを読み終わらなくては……と思い、頑張って読了しました。
『「小児性愛」という病 ―それは愛ではない』です。
読書ノートを振り返ると、ゴールデンウイークの頃に読み始めたんですね。
でも、読み続けるのが非常に苦しい本でした。
まっさらな子どもたちが、なぜ男の性欲の慰み者にならなければいけないのか。
愛?
愛しているのは、自分自身だけだろう?
自分のエゴを、もっともらしい言葉で飾って、抵抗できない相手に押し付けるんじゃねえ!
- 「小児性愛」の実情を暴く
- 小児性愛の根本にある、男尊女卑
- 逆境体験が性加害者をつくるかもしれないが、だから仕方がないとする発想は間違い
- アニメ・マンガを含む児童ポルノが、加害者のトリガーとなりうる現実
- 死ぬまで「辞め続ける」しかない依存症
「小児性愛」の実情を暴く
この本では、小児性犯罪加害者のための外来クリニックにおける現状が、まとめられています。
男性の、家庭外小児性加害者についてとりあげられていて、家庭内性加害者や女性の性加害者についてはとりあげられていません。
これは、著者のクリニックにくる患者の多くが、我が子に性犯罪をしないタイプであったり、女性犯罪者が極めてレアケースであるという実情から、あえて限定しているようです。
いや、でも、本当に、読むのが本当に辛くなるほど、加害者の身勝手な主張が並べられています。
それに比べ、被害者側のその後が伝聞でしか伝えられないという、その現実をどう読むか。
被害者に口封じをする加害者の、えげつなさよ。
さも共犯者であるかのように思いこませ、己の意のままにしようとするあさましさよ。
全員、死刑にしてもいいですか?
と言いたいくらい、はらわたが煮えくり返ります。
小児性愛の根本にある、男尊女卑
結局、根本的問題として男尊女卑があるんですね。
男の性欲を引き受ける存在としての女性。
男の優位性を守るための、無害な存在としての女性。
それらがかなわなくなってきているからこそ、子どもへと向かう。
なんなの?
それじゃあ単なるでかい子どもじゃん。
自分の思うとおりにならないから、自分の言うことをきいてくれそうな弱者(子ども)を、支配の対象にしてるだけ。
相手のためを思って身を引くとか、感情も行動も表に出さないとか、大人の愛なら、そういう分別があってしかるべきでしょう。
都合のいいときだけ大人で、都合が悪くなると子どもになるんじゃねえっ!
男尊女卑って、彼我の人権の差を、いかに我が事として受け止められるかだと思うんですけどね。
性差だから仕方がない、ではなくて。
これまでそうだったから、当たり前のこと、ではなくて。
その意識、女も持つべきだと思いますけどね。
男に養ってもらうのが当たり前、とかじゃなくて。
逆境体験が性加害者をつくるかもしれないが、だから仕方がないとする発想は間違い
実際、性加害者の多くに逆境体験はあるようです。
親から厳しいしつけという名の虐待を受けた経験がある、とか。
学校でいじめられた、とか。
女子に莫迦にされた、とか。
それらは同情に値しますが、だからといってすべてが免罪されるわけじゃないんですよね。
仕返しする権利なんてないんです。
ましてや、第三者である弱者を対象にしたら、100%犯罪です。
だったらやられ損だよって?
損か得かを、そんな短絡的なことでしか判断できないのは、残念なことです。
小児性愛加害は、依存症です。
ただでさえ逆境に苦しんできた人が、さらに依存症に苦しまねばならないなんて。
加害者数以上の、あまたの被害者が、苦しみ続けなければならないなんて。
違うでしょ。
アニメ・マンガを含む児童ポルノが、加害者のトリガーとなりうる現実
反対意見が出ることは、私も百も承知です。
でも実際、マンガやアニメを含む児童ポルノが、性加害者のトリガーとなっているようなんですね。
見た人すべてが加害者になるわけではない。
しかし、加害者はほぼ見ている。
これは、無視できない現実だと思います。
表現の自由はありますし、特にわが国では擁護されるべき分野であるとは思います。
しかし、ひとりでも被害者が出るなら、公共の福祉を考えるべき問題だとも思われます。
個人的には、ここ四半世紀くらいのアニメやマンガのキャラって、抵抗があるんですね。
幼顔で、身体は発達していて、デッサン狂ってるだろ? ってくらい、身体のラインが出る服の着せられ方をしていて。
アニメの声も、男に媚びるような無害そうな喋り方だったり。
いかにも、男にとって都合のいいキャラだよね、と。
それと児童ポルノは違うだろ? なんですけど、普通の、秋葉原電気街口にでかでかと出ているようなアニメがそうなら。
まあ、自ずと想像つきますわな。
以前、少女の裸体ポスターが張り出されて……というような問題もありましたけど。
それを見た性加害依存症者が、衝動を抑えられなくなるなら、それは張り出すべきものではない、ということです。
白い粉と注射器の映像が、NGなのといっしょ。
死ぬまで「辞め続ける」しかない依存症
小児性愛も、麻薬やアルコール、ギャンブルと同じ、依存症です。
だから、死ぬまで「辞め続ける」毎日を繰り返すしかない。
それは、地獄の日々だと思います。
そんな依存症患者をこれ以上つくらないためにも、日本の性表現って、もっと考えた方がいいと思うんですよ。
チャイルド・ラブドールも論外。
それもトリガーになりますからね。
そしてやっぱり、人権意識をもっと持つべきだと思います。
道徳で教えるなら、親孝行や友愛を越えて、人権なんだよなあ。
普遍的な人権!
男性の性欲って、誰かに受け止めてもらうしかないものじゃないんですよ。
分別のある大人なら、自分でコントロールすべきものなんです。
仕方ない、じゃないんです。
他者を傷つけてもいいもの、じゃないんです。
電車や駅での痴漢行為も、盗撮も、性犯罪ですからね。
ついやってしまう、やりたくなる、なら、依存症です。
いつでもやめられる、と思っていても、やめられないのが依存症。
地獄に落ちていい人なんて、ひとりもいません。
だから。
ほんっと女性や子どもの人権は、男性と同等にあるものと意識しなきゃいけないし。
外国人もそうだし。
LGBTの人たちもそうだし。
職業差別や年収での差別、その他あらゆる差別はダメなんですよ。
自分が消費していい他者なんて、この世に存在しないんです。
だから、この本を読むのはしんどいですけど、読まれてほしい本だと思いました。
ここまでご一読いただき、ありがとうございました。m(_ _)m