ホリエモンの『すべての教育は「洗脳」である』を再読して考える、これからの働き方
こんにちは、ほんのよこみちです。
ホリエモンさんのすべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ (光文社新書)を、1年ぶりに再読しました。
私は、ホリエモンさんの考え方すべてに賛同するわけではありません。
政治に対する考え方などは、まったく違います。
それでも、この本の主なテーマには、共感できます。
学校は、そもそも工場労働者の養成所である、とこの本には書かれています。
私も、社畜養成所だと思っています。
規則でしばったり、命令に服従させたり、集団で同一行動をさせたり、与えられた問題を解く訓練をさせられたり。
異を唱える奴は、コミュ力がない、と悪者扱いで、社会的に抹殺。
良いとされるのは、無思考で、従順で、与えられた仕事を黙々とこなす、マシンのような労働者。
あ~、もう、最悪じゃん!
私もそういう学校に順応してきた口なので、無思考で奴隷根性な部分があります。
我慢をすれば褒められる、という思考パターンにはまっているので、好きでやりたいことをずっと我慢し続けたり(+o+)
我慢して、我慢して、我慢して、気づいたら何をやりたかったのか思い出せないことも、過去にはありました。
怖いですね(^_^;)
ホリエモンさんは、やりたいことは「すぐやる」「とことん楽しむ」というのを主張されていますね。
これは、本当にそうだと思います。
学生なら「試験前だから」、社会人なら「仕事があるから」、そういってなんでも我慢してしまいがちですが、そうして人生が終わってしまうとしてら、ものすごく悲しいですよね。
そうは言っても、遊んでいても、だれも責任を取ってくれないじゃん?
その結果、社畜が大量生産されていくわけですから、国や企業はウハウハです。
「誰かが面倒くさいことをやってくれる」と思い込ませた者勝ち!みたいな。
ホリエモンさんが、「面白いと思ったことをとことんやる」と言う背景には、ビジネスをつくるという観点があります。
今ある職業の半数は、いずれなくなるのだから、過去の職業一覧に縛られることはないだろう?と。
この意見は、大いに参考になります。
また、少し視点が違うかもしれませんが、私も「好きなこと」「面白いこと」をとことんやって、そのまわりに仕事をつくっていくというのがいいと思っています。
よく、イラストを描くのが好きというと、「漫画家になんてそうそうなれない」とか、「イラストレーターとかデザイナーとか、名前の格好よさに憧れてるだけだろう」とか、「そんなので食べていけるわけないんだから、ちゃんと就職しなさい」とか、大人は言いますよね!
だから、絵なんて描いてないで、勉強しなさい!と。
でも、勉強が好きでやっている子と同じ土俵で勝負しても、そもそもの好きさが違うわけだから勝てないよね、と私は子どもたちに伝えています。
だったら、自分が「好き」な土俵で勝負するしかない。
絵を描くのが好きだから漫画家、とか、ゲームが好きだからプログラマー、とか、そういうふうにはなっから職業を決めてしまうのは、危険です。
だって、なれなかった場合の反動が、ハンパない。
イラストが好き、ゲームが好き、大きくひっくるめてサブカルが好き、なら、その「好き」をどうビジネスで活かせるか、を考えた方がいいと思います。
例えばコラボカフェ。
テーマの作品を好きな人がスタッフにひとりもいなかったら、そりゃ、薄っぺらい表面的なカフェで、ファンには物足りないものとなったでしょう。
その作品を好きなスタッフがいるからこそ、顧客目線のサービスをつくることが出来るんですよね。
結果、ビジネスとなりうるんです。
他にも、本が好きだから本ビジネスに挑戦する人、チョコレートが好きだからチョコメーカーに就職して、チョコのワークショップ部門で働く人、にお目にかかったことがあります。
そういう方たちは、お仕事が楽しそうです。
作家じゃなくても、パティシエじゃなくても、好きなものと関わりながら働く。
ということじゃないでしょうか。
だから、嫌々我慢して泣きながら勉強するくらいなら、好きなことをがっつりやった方がいいと思います。
嫌々やって勉強が嫌いになるくらいなら、やらない方がいい。
だって、社会に出たら死ぬまで学習ですもん。
技術革新についていくために、学び続けなければならない。
好きなことをやってたって、必要な時が来れば、自分から勉強します。
ゲームをつくりたい子が、物理の勉強をするように。
そういう学び方の方が、絶対身に付きますよね。
ということで、ホリエモンが好きな方もそうでない方も、この本は一読してみてもいいんじゃないでしょうか。