【社会】改革とペーパーレスについて考える
こんにちは、ほんのよこみちです。
インフルエンザとかウィルス性胃腸炎とか流行ってますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
うちも、家族が体調を崩しまして、このところずっと対応に追われてました。
自分は元気でも、家族がしんどいと、やっぱりしんどいですよね。
で。
家族の体調が悪くなる前に、ずっと考えていたのが「改革とペーパーレスについて」でした。
Twitterで、「ペーパーレスにしないと改革はできないだろう」的なことが書かれていたのを読みまして。
丁度、仕事でもそういうことに向き合う必要性が出てきていたので、考えないわけにはいかないですよね。
私、個人としては、ペーパーレスにはできない派です。
昭和の人間だからかどうかはさておいて、根本的にデジタルを信用していない(苦笑)
社会人になったとき、まだPCはWindowsではなかったですし、フロッピーディスクを使ってました。
それから四半世紀、時代の波に翻弄されながら、データをいくつも消失させてきたので、「紙に残せないものは無いも同然」という認識が出来上がってしまいました。
勿論、短期記憶的なデータは、システムで管理した方がいいことも理解してます。
その昔、「紙台帳をなくそう」というときには怖さも感じたのですが、意外と全然問題なくいけたので、拍子抜けしたこともおぼえています。
システム管理すれば、社内で情報を共有できますから、コピーするコストがなくなる、常に新しい情報を更新できる、などメリットがいくらでもでてきます。
それなのに、なぜペーパーレスにできないのか?
① 日本人の半数近くを占めるアラフィー以上が、主観的に対応しづらい。
私を含めた世代ですが、大人になって初めてPCにさわった、インターネットができた、という人たちですね。
やはり人生経験を積めば積むほど、新しいことに対応がしにくくなります。
というのも、技術革新によって、それまで自分がやってきたことがすべて否定されてしまう……自分の人生・人格の否定につながりかねませんから、それはやはり抵抗したくなりますよね。
現代は特に、そういうことが日常的に繰り返されてきてますから、20代・30代の方たちも明日は我が身と思って下さい。
② デジタルデータは俯瞰できない。
これ、私がほんっとうに不便だと思うことなんですが、スマホやタブレットのモニターの小ささは、情報を局所的に見ることには向いているのですが、全体を俯瞰できないんですね。
例えば地図にしても、遠景で見ようとすると局所がつぶれてしまう。
詳細情報を掲示したまま、全体を俯瞰することでしか見えないものがあるのに、それができない。
この「局所しか見えない」という状態に慣れてしまうことって、結構怖いことだと思うんですね。
思考が局所に向かってしまう → 全体を見る習慣がつかない → 全体を見ている権力者に操られやすい
空気に流される、というのも、局所only→no全体からきていると思われます。
また、俯瞰できないことと同様に、モニターの大きさを拡張できない(しづらい)ため、その人の思考の大きさがモニターの大きさに左右されてしまう、という難点が挙げられます。
ノート術の本で、よくA4のノートが推奨されてますが、頁が大きいと、それだけ思考の大きさ・幅の広さが身につくようなんですね。
正直、私もタブレットでブログを書くより、PCで書く方が、なんだかのびのび書ける気がします。
ノートも、今はB5を使ってますが、以前はA5だったので、開放感はあります。(思考力が増したかどうかは疑問ですが)
③ 情報共有しないからこその、気軽なメモ書きができる
作業依頼の文書(といっても鯱張ったものではなく、A4のフレームの入った紙に記号的支持が書かれている)を、仕事で他部署の人とやりとりをしていて、気がついたことです。
うちの職場の人は、やった作業にチェックを入れたり、かかったコストをメモしたり、作業者の印を押して責任を明確にしたり、紙の書類を活用してたんですね。
大手企業では、そういうチェックやメモも、ペンタブで入れられるようにシステムを組んでいるのでしょうけど、うちはそこまでではないので。
メモは意外と重要です。
書くことで、仕事との意識の距離が縮まりますし、「その人」がわかります。
作業者の自己肯定感形成にも、そういうメモって一役買っていると思うんですね。
などと書いていると、「なあんだ、結局は全部思い込みじゃん」となってしまうのですが(苦笑)
ペーパーレスにするもしないも、結局は人間がすることなので、最終的な壁は「人間の意識として適当か?」になってしまうのだと思います。
するからには、データの消失・流出には最善の対策をとるのが当たりまえですからね。自明の理。
社会の流れがそうなっているのだから、人間もその流れにのらなくちゃいけない。そうかもしれません。
だからこそ、生きにくさを感じている人が多い世の中なのでしょう。
とはいえ、デジタル化が悪いことだとは言えません。
電子書籍のおかげで、手に入りにくい本が読めたり、メールやSNSで気軽にやりとりできたりするのは、本当にありがたいことです。
結局は、使う人間の問題ということですから、皆がWinWinになるような使い方を、考えて行動しなきゃ……ということですかね。
ま、それでも、デジタルにしかないものは、信用していないんですが(苦笑)