思い出の一枚というやつは、大抵思い出の中にしか残らない
思い出の一枚……というと、やはり写真ですね、私の世代では。
しかも、フィルムカメラで撮影された、白い縁取りのある写真。
誰かに撮ってもらったもので、複製が困難なもの。(行事の写真とか)
そういう、一度失われてしまうと、どんなに泣いて後悔してもどうにもならない写真を、私は人生で一枚どころか二枚も、手放してしまいました。
1枚目は、幼少期の頃、曽祖母と写っている唯一枚の写真。
2枚目は、高校の体育祭の時、友人と写っている写真で、自分としては一番写真映りの良かった一枚。
どちらも、学校の授業で、写真付き作文の課題に使用し、先生に提出してしまったものです。
課題、返ってくると思ったんですよ。
返ってこなかったんですよね……。
1枚目の時は、まだ小学生で、二度と写真が戻ってこないなんて思いもしなかった。
2枚目の方は、大学の英語の授業で、はっきり言ってネイティブの先生が何言ってんだかよくわかんなかったんです。
友人が「写真、返ってこなかったら嫌だから、証明写真の残りにしたよ」と、わざわざ助言してくれたのに、まあいっか、とスルーしちゃったんですよね〜。くそっ。
自業自得です。
2枚の写真のアングル程度は記憶にあるのですが、曽祖母の顔も、友人たちの表情も、もう記憶にありません。
悔しい。
でも、仕方がないんですよね。
写真はあくまで過去の一瞬を切り取ったものですので、いつまでもこだわっていると、現実も未来も見えません。
曽祖母がいた、友人たちがいた、楽しかった、という事実は、私の中にきざまれているのですから。
モノより経験、とよく言われますが、失ってしまったことも含めて、自分が何をどう感じ、考えたかだよなあと、思います。
すぐに結果の出ることではなくても、自分の中で、確実に熟成されていくわけですから。
こんなふうに、困ったときのブログネタになったりしますしね(苦笑)