『GODZILLA 決戦機動増殖都市』は、生き方を考えさせられる映画でした
先週末、観てきました~。
『GODZILLA 決戦機動増殖都市』です!
前作『GODZILLA 怪獣惑星』がすごく重い物語だったので、実はちょっと観に行くのが重かったんですよね~。
家族が「行くよ」と言うのにも、「まじ?」っつっちゃったし(苦笑)
でも、面白いエンタメ映画として、楽しく観ることができました。
全滅したか⁉ と思っていたハルオの仲間たちも、健在でしたし。
ザ・ピーナッツ⁉ と思わせる可愛い女の子も出てくるし♬
(もはや、役名は小美人ではなくザ・ピーナッツだと勘違いしている……)
ストーリーは、前作の続き、300m級ゴジラにリベンジする若者たちの戦い……なんですけどね。
主人公のハルオが、若きリーダーとはいえ、やっぱり悩んだりするので、仲間たちが揺さぶりをかけてくるんですよ。
お前の決断は、本当に正しいのか、というようなのを。
決断について、いろいろ考えていた時だけに、私も揺さぶられました。
honno-yokomichi.hatenablog.com
自分では正しいと思って決めていることも、それが本当に正しいかどうかなんて事前にはわからないし、事後だってわかるとは限らない。
わからないながらも、私たちは決断するし、仲間を道連れにしたりするし、迷惑をかけたりもする。
その迷惑が、取り返しがつかない場合もあるということを、日常生活においては見落としがちですが、『GODZILLA』の中では、もう即、死だし……。
そういう冷や汗かきながら自分を振り返る、という行為そのものが、映画のハラハラドキドキの怖さに連動して、さらに怖い。
キャラの個別認識とか、とっくに放棄しているんですが、異星人のお兄さんたちがそれぞれ象徴的な言動をして、それがハルオと仲間たちを翻弄したりもします。
皆、自分が正しいと思うことをしているけれど、考え方とか育ってきた環境も違うし、良しとするものも実は違う。
ただ、望むのは、ゴジラを倒すこと。
私などからしてみると、そこまで「ゴジラを倒して地球を取り戻す」ことに固執する必要あるのかな~、となっちゃうのですが、そこがバブル世代とその後世代との境目なのかなとも思いました。
この作品で描かれている世界は、そのまま現代日本の生きづらい空気感なのかな、と。
能天気に「移住先探そうよ~」と思ってしまうのは、新天地は絶対あると信じてしまえるバブル世代の楽観主義とでも言うのでしょうか。
常にハルオみたいに戦わざるをえない心理状況でしたら、そりゃ息苦しいですわ。
気楽にいこうよ~、と言ったところで、周囲に敵意しか感じられなければ、気楽に構えることなど致命傷に思えても仕方ないですよね。
いろいろ考えてしまう映画でした。
面白かったですけど。
そして、劇場の中には、こんなのもありました⤵
やっぱり、太ももごっつい。
内臓、重そう。
子持ちか?
この比重だと、意外と脳は小さそうだな。
などと、ついつい恐竜と比べてしまうのでした。
(あ、実は恐竜好きなんです。自分が見たくて、子どもに恐竜図鑑買い与えたりしましたよ)
この『GODZILLA』シリーズは3部作なので、今から次が楽しみです。
この広げちゃった風呂敷を、どのようにたたんでくれるのか、こうご期待!というやつですね。