ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

十二国記『丕緒の鳥』を読んで考える、自分はどのように生きていくのか、ということ。

ほんのよこみちです。

十二国記丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5 (新潮文庫)』を読みました。

新潮文庫のナンバーでは5ですが、シリーズ全体の発表順は後の方なので、やっぱり読むとしたらこの順番かな、と。

 

丕緒の鳥 (ひしょのとり)  十二国記 5 (新潮文庫)

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5 (新潮文庫)

 

 

十二国記は公務員の物語でした?

十二国記のシリーズ全体としては、王と麒麟の物語のようですが、この短編集を読むと、公務員の物語だったんだなぁ……というのがよくわかります。

名もなき下級役人と、彼らが出会った庶民たち、というのが主人公。

いわゆる歴史に名を残すような大物ではないけれど、「公僕はいかに生きるべきか」を追求し続けている人たちです。

 

現実から目を逸らしてはいけない。

でも、現実と向き合うとは、どういうことなのか。

自分は向き合ったつもりになっているだけではないのか?

 

短編集なので、4つのお話が入っていますが、丕緒以下何人もの役人たちが、自分なりの公僕の姿を求めているように見えます。

役人であるが故に、仙籍という不老不死の特権を与えられている人たち。

それゆえの孤独も、背負っている人たち。

 

読み応えのある短編集だと思います。

 

理解できぬ者を排除せずにいられるか?

二つ目の短編が「落照の獄」という、いわば法廷小説なのですが。

連続強盗殺人犯を、死刑にするのか、有期刑にするのか。

ずっと中止していた死刑を復活させることで、国家による虐殺を呼ぶのではないのか。

しかし、通りすがりの子どもが握りしめている、わずかな小遣い銭を奪うために、ついでのように殺してしまう残虐な殺人犯は?

 

殺人犯と話しをして、理解しようとしても。

子どもの命も簡単に殺すような男を、本当に理解することはできるのか?

あんな奴、人間じゃねえ、って、排除せずにいられるのか?

排除することで、自分の周りの日常を取り戻そうとしていないか?

それは実は、私利私欲と同質のものではなかろうか?

 

などなど、こちら側の社会問題にも通じるような難問に、向きあっている作品です。

辛いお話ですけど、考えさせられる部分も多々あり、興味深く読むことができました。

 

人は、寿命があって死んでいくから、社会も発展していく

十二国記は、ある意味、時間の止まった世界です。

王や麒麟は、善政を敷いている限り、不老不死ですし。

官僚たちに至っては、任命された時点で仙籍に入りますが、官僚を辞めない限り、不老不死。

たとえ王が非道な虐殺を行ったとしても、その責任が官僚に及ぶことはないので、きっちり評価に値する仕事をやっている限り、不老不死でいられたりします。

ま、悪逆な王に惨殺されることはありますけどね。

 

なので十二国記の世界って、過去600年くらいは、名のあるキャラの誰かが生きている世界なんですよね

つまり、なかなか世代交代をしない、と。

 

今回のような外伝的短編集を読んでいると、どこの国のいつの話か? に、頭を悩ませたりします。

これまでの作品で出てきた特徴的な勅令などが出てくると、「慶国予王の時代だな」とかわかるんですが。

文化・風習・文明化レベルが、どの時代も似たような感じで、500年前も現代もおんなじじゃんってなるのでね。

 

これ、結構怖いことじゃないですか?

たとえば戦国時代から今まで、社会が一切進歩しないとか、ありえなくないですか?

 

でも。

同じ人間が国の舵取りをしていたら、そもそも500年前のやり方であっても、不便を感じなかったりしますよね。

人間はそもそも、変化をストレスと感じる生き物ですから。

ずっと同じ人間が国家運営をしていたら、近代科学技術とかIT化とか、考えつきもしませんよね。

 

人が老いて死ぬということは、老いが近づけば近づくほど、怖くなります。

でも、のちの世に生まれる子たちのためには、必要なことでもあるんだなあ。

泣きそうになります。

覚悟を決めなければならない日が、誰の上にも訪れるんですね。

次の世代のために。

 

不要な仕事はこの世にはなく、不要な人も存在しない

 この短編集は公務員のお話ですので、さまざまな公務員が登場します。

国家が大変なとき……というのが、だいたいの物語の舞台ですので、そんなときにそんな仕事してていいの? みたいな公務員も登場します。

専門職の人たちなので、傍目には、何をやっているのかよくわからない、といような職務内容だったりするんですね。

 

儀式用の陶器の鳥をつくってるとか。

野原で虫の数を数えているとか。

 

でも、一見非生産的な活動に見えたとしても、その作業の裏の先の先には、国民の生活を支えるモノがあったり、国王への諫言行為があったり。

意味がない、と活動を辞めてしまったら、まわりまわって、民衆を苦境に追い込む現実が待っていたり。

 

どんな職業も、必要だからこの世に存在しているんですね。

目先の利益に左右されることなく。

生産性という一つの物差しで、排除されることなく。

職に貴賤なし。

すべての仕事は、道である。

 

今、こんな時代ですから、どの職業も揺れています。

みんな生き残りをかけて、頑張ってらっしゃることと思います。

頑張っても、それでも報われない、感染症という現実。

こういう時こそ、国家や地方行政が動くべきときなんですけどね。

 

まとめ

 ということで、『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5 (新潮文庫)』は地味ながらも、人生を振り返らせてくれる作品でした。

王や麒麟の華やかさはないものの、だからこそ迫ってくる身近さ、とでも言うんでしょうか。

 

でもやっぱり、十二国記を読む順番としては、5番目というより、『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8 (新潮文庫)』の後をおすすめします。

 

十二国記はもともとラノベですけど、『丕緒の鳥』は下級公務員たちのお話ですしね。

ここからでも手に取って下さる方がいらっしゃれば、嬉しいです。

 

ありがとうございました。m(_ _)m