『手から、手へ』って泣きそうになる本でした
上の画像の帯にもありますが、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」(しかも再放送だ~)を見て、この本を知りました。
いわた書店さんの「一万円選書」に選ばれた本ですね。
先日、出かけた際に、ちょっと大きめの本屋さんで見つけまして。
うわ~、この本、たまんないや~。
なんっつうか、子どもに遺品として残したい本でした。
親目線で読んでしまうのは、どうしても、「やさしいちちはは」のくだりに違和感を覚えてしまったからですね(苦笑)
ああ、そしたら、うちの子らも違和感大爆発か(苦笑✖100)
「やさしいちちはは」ってなんだろう。
うちの両親は、親の思うとおりの言動をするなら存在を認めてやる、というような人たちでした。
なので、この人たちには何を主張しても無意味だと早々に悟ったので、立ちはだかるものを全部なぎ倒していくような生き方をしてきました、私は。
そんなんですから、子どもたちにも、困難を突破するような強さを強要していたんですね、いつのまにか。
とても、「やさしいはは」とは言えません。
私はたまたま面の皮が厚かっただけだし、生きてた時代も景気が良くて助かった。
でも、今はこんな時代だし、繊細な子も世の中にはたくさんいる。
繊細な子に、昭和の生き方を真似しろと言ったって無理だし、多分私も、今の時代だったらブルドーザー的人生は歩めなかったでしょう。
そこを理解し、納得しておかないと、私も「日本語の通じない親」のひとりでしかありませんね。
というのも。
ひきこもりの方のTwitterとかを見てると、親御さんに対する認識が、まんま「親の言うとおりの言動をするなら存在を認めてやる」というような親だったものですから。
あ~あ。
私も「強くならないと生きていけないでしょ」って何度言ったことか……。
「やさしいちちはは」って難しいですね。
今、この本を子どもらに渡しても、ハイハイって軽くあしらわれるだろうなってわかります。
子どもの幸せを望まない親はいないと思いますが、そこに親自身の人生の全否定が加わったとしても、はたして無条件に子どもの幸せを願えるのか。
自分の人生は無駄だった、無意味だった、本当はそんなことないんですけど、子どもが自分の枠を超えた生き方をすれば、親は無力感にさいなまれる場合があります。
人を育てるって、周囲がどんなに頑張っても結果が出ないことはよくあるし、周囲が関わり方を変えていかないといけないのだし、自分の成長譚は通用しないし、それでもっていつのまにか置いていかれてるし。
それでもはたして「やさしいちちはは」でいられるのか。
多分、この本のねらいとは全然違う方向に思考を展開させているんですけど、私はこのように考えました。
だから、「やさしいちちはは」というところで詰まってしまったあなた。
あなたは今、苦難の人生を歩んでいるのかもしれませんが、その苦難はあなたが「やさしいこころ」を持っていることを打ち消すものではありません。
あなたにも、しあわせに生きる権利はあるんです。
どうか、その「やさしいこころ」を大切に持ち続けて下さい。
次の世代の誰かに、そのばとんを渡すその日まで。