ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

十二国記『白銀の墟 玄の月』①~④を読み終えて考える、人はどう生きるべきなのか。

 ほんのよこみちです。

十二国記『白銀の墟 玄の月』①~④を読了しました。

 

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)
 

 

白銀の墟 玄の月 第二巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第二巻 十二国記 (新潮文庫)

 

  

白銀の墟 玄の月 第三巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第三巻 十二国記 (新潮文庫)

 

 

白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記 (新潮文庫)

 

 

 とても読み応えのある4冊でした!

 

民衆の物語

今作には、民衆の登場人物が多く出てきます。

王でも仙籍の将軍たちでもない、名もなき民衆。

その名もなき民衆が、極寒の戴国でいかに生き、助け合ってきたか。

誰かに命令されたからではなく、心意気で、貧しきものや弱きものを助けてきた、その生き様。

いろんな人たちが登場してくるので、読んでて途中で名前がごっちゃになりました。

 

ストーリーとして一貫しているのは、王である驍宗を探し、戴国を取り戻すこと。

そのプロジェクトに、多くの民衆が関わっていきます。

本来、政治とは無関係なはずの民衆が、自分たちの命を第一にしつつも、無体な偽王に対する反骨心を消すことなく……。

 

きれいな言葉で語ってしまうには、いろいろ胸につかえるものがある物語なのですが。

名もなき民衆に焦点をあてた、名もなき民衆である、我々のための物語だと思います。

 

特権階級である者たちの覚悟

十二国記は身分制社会の物語ですから、仙籍や神籍などの特権階級が存在します。

まあどこの世界でも、そういう特権階級は腐っていくものなんですが。

それを放置していたら、王や麒麟が死んでしまい、国が改められるというのが十二国記の世界で。

なので、覚悟を背負った特権階級者が多いのが、このシリーズの特徴でもあります。

 

『白銀の墟 玄の月』でも、それは健在で。

というより、むしろ従来のそれよりもさらに踏み込んだ覚悟を、示しているように思えます。

天の理にも挑む、覚悟を。

 

こういうのを読んでしまうと、自分の生き方はこれでいいのか、考えてしまいますね。

利己主義すぎないか?

自分に都合よく、物事を改変していないか?

どこまでも自分に甘く、他者に厳しく要求していないか?

 

みっともない自分でありたくなければ、こういう格好いい生き方を心のうちに住まわせることが、近道なのかもしれません。

 

絶望の底に落ちても、希望を失わずにいられるか

魔性の子』の間の7年間、戴国の人間を支配していたのは、絶望でした。

その絶望よりさらに怖い絶望が、今作で描かれています。

正直、私なら発狂するか、死を選びたくなるような、絶望だと思います。

 

希望を失うな、という言葉は、すぐに言いたくなってしまう言葉ですが。

すべてを失っても、希望を持ち続けられるのだろうか。

そこまでの強さを、保ちつづけられるだろうか。

自信がありません。

 

年を重ねると、実は若いときより、絶望って身近だったりするんですよね。

死という絶望までの距離が、近いですから。

年々身体も衰えて、できないことが増えていくし。

 

十二国記の初期読者層は、40代から50代くらいかと思われます。

いわゆる中高年。

だからという訳ではないと思いますが、もう若いときのように、簡単に取り戻せない現実、というものも、今作では描かれている気がします。

それをどうとらえていくのか。

 

10年後、20年後とかじゃなくて、この1年をどう頑張っていくか。

目の前の一日一日を、どうすごしていくのか。

そういう現実がそのうち来る、その覚悟は、いずれ決めなくてはならない。

気づかぬふりをしていたいんですけどね。

 

今、この時代を映した現実感

『白銀の墟 玄の月』はフィクションですが、今のこの時代の閉塞感を、表していると思います。

腐敗とか、無気力さとか、差別とか。

ストーリー設定や細かいエピソードだけでなく、全体の構成としても、現代社会を表現されているように感じます。

 

我々は今、動乱のただなかにいるのだ、と。

 

小説は、自分が読みたいと思った時が旬、だとは思うんですが、時代の空気を感じるなら、リアルタイムに読むのが一番ですね。

てか、もうリアルタイムじゃないんですが。

発売は2019年秋だもんなあ。

 

私は、今、まだこの時期に読めて、良かったと思います。

小説の発売後に、確かにコロナ禍という歴史的出来事があり、それは現在進行形なんですが。

コロナ禍によって、別の腐敗が浮き彫りになってきたことも、また事実。

そしてそれらの問題は、未だ解決していない。

 

我々は実は、外から戴国を見ているのではないのかもしれません。

戴国の民のように、生き延びるためにできることをしつつ、各々政治に参加していかなければ。

大きな声に扇動されることなく、自分で調べて考えて。

 

そういった、これからの生き方を真面目に考えさせてくれる小説だと思います。

できれば多くの人に読んでもらいたい、十二国記

よろしくお願いします。m(_ _)m

ありがとうございました。m(_ _)m