十二国記『白銀の墟 玄の月』①~④を読み終えて考える、人はどう生きるべきなのか。
ほんのよこみちです。
十二国記『白銀の墟 玄の月』①~④を読了しました。
とても読み応えのある4冊でした!
民衆の物語
今作には、民衆の登場人物が多く出てきます。
王でも仙籍の将軍たちでもない、名もなき民衆。
その名もなき民衆が、極寒の戴国でいかに生き、助け合ってきたか。
誰かに命令されたからではなく、心意気で、貧しきものや弱きものを助けてきた、その生き様。
いろんな人たちが登場してくるので、読んでて途中で名前がごっちゃになりました。
ストーリーとして一貫しているのは、王である驍宗を探し、戴国を取り戻すこと。
そのプロジェクトに、多くの民衆が関わっていきます。
本来、政治とは無関係なはずの民衆が、自分たちの命を第一にしつつも、無体な偽王に対する反骨心を消すことなく……。
きれいな言葉で語ってしまうには、いろいろ胸につかえるものがある物語なのですが。
名もなき民衆に焦点をあてた、名もなき民衆である、我々のための物語だと思います。
特権階級である者たちの覚悟
十二国記は身分制社会の物語ですから、仙籍や神籍などの特権階級が存在します。
まあどこの世界でも、そういう特権階級は腐っていくものなんですが。
それを放置していたら、王や麒麟が死んでしまい、国が改められるというのが十二国記の世界で。
なので、覚悟を背負った特権階級者が多いのが、このシリーズの特徴でもあります。
『白銀の墟 玄の月』でも、それは健在で。
というより、むしろ従来のそれよりもさらに踏み込んだ覚悟を、示しているように思えます。
天の理にも挑む、覚悟を。
こういうのを読んでしまうと、自分の生き方はこれでいいのか、考えてしまいますね。
利己主義すぎないか?
自分に都合よく、物事を改変していないか?
どこまでも自分に甘く、他者に厳しく要求していないか?
みっともない自分でありたくなければ、こういう格好いい生き方を心のうちに住まわせることが、近道なのかもしれません。
絶望の底に落ちても、希望を失わずにいられるか
『魔性の子』の間の7年間、戴国の人間を支配していたのは、絶望でした。
その絶望よりさらに怖い絶望が、今作で描かれています。
正直、私なら発狂するか、死を選びたくなるような、絶望だと思います。
希望を失うな、という言葉は、すぐに言いたくなってしまう言葉ですが。
すべてを失っても、希望を持ち続けられるのだろうか。
そこまでの強さを、保ちつづけられるだろうか。
自信がありません。
年を重ねると、実は若いときより、絶望って身近だったりするんですよね。
死という絶望までの距離が、近いですから。
年々身体も衰えて、できないことが増えていくし。
十二国記の初期読者層は、40代から50代くらいかと思われます。
いわゆる中高年。
だからという訳ではないと思いますが、もう若いときのように、簡単に取り戻せない現実、というものも、今作では描かれている気がします。
それをどうとらえていくのか。
10年後、20年後とかじゃなくて、この1年をどう頑張っていくか。
目の前の一日一日を、どうすごしていくのか。
そういう現実がそのうち来る、その覚悟は、いずれ決めなくてはならない。
気づかぬふりをしていたいんですけどね。
今、この時代を映した現実感
『白銀の墟 玄の月』はフィクションですが、今のこの時代の閉塞感を、表していると思います。
腐敗とか、無気力さとか、差別とか。
ストーリー設定や細かいエピソードだけでなく、全体の構成としても、現代社会を表現されているように感じます。
我々は今、動乱のただなかにいるのだ、と。
小説は、自分が読みたいと思った時が旬、だとは思うんですが、時代の空気を感じるなら、リアルタイムに読むのが一番ですね。
てか、もうリアルタイムじゃないんですが。
発売は2019年秋だもんなあ。
私は、今、まだこの時期に読めて、良かったと思います。
小説の発売後に、確かにコロナ禍という歴史的出来事があり、それは現在進行形なんですが。
コロナ禍によって、別の腐敗が浮き彫りになってきたことも、また事実。
そしてそれらの問題は、未だ解決していない。
我々は実は、外から戴国を見ているのではないのかもしれません。
戴国の民のように、生き延びるためにできることをしつつ、各々政治に参加していかなければ。
大きな声に扇動されることなく、自分で調べて考えて。
そういった、これからの生き方を真面目に考えさせてくれる小説だと思います。
できれば多くの人に読んでもらいたい、十二国記。
よろしくお願いします。m(_ _)m
ありがとうございました。m(_ _)m