センスがないので『センスは知識からはじまる』を読んで、自分の怠慢を知る
ほんのよこみちです。
このブログをご覧いただいている方ならお分かりのように、私にはセンスがありません。
小学校時代より図工が苦手なので、私には美的センスはないもの、と諦めておりました。
そんな折、本屋さんで見つけたこの本に、飛びついてしまったわけです。
センスという、よくわからないけれど、人を差別化してしまうような、恐ろしいもの。
私はずっとその存在から目をそらしていました。
自分とは無縁の、とこか遠い別世界のモノ、だと思っていたので。
でも、そうではなかったんですね。
この本を読めば、センスは努力次第で得られる、ということがわかります。
良いものも悪いものも知って、普通とは何か、を知っているところに、センスはうまれるのだそうです。
知識を広げることで、モノの歴史を知ったり、古典や新作に触れたりする。
その上で、共通項を探っていくことが必要、と著者の水野学氏は仰ってます。
確かにおしゃれなお店のオーナーさんは、全国の同業他社を回って、研究されてたりしますよね。
良質な商品・サービスを提供するのは、もはや当たり前の時代。
プラスアルファをどうするか、で皆さんしのぎを削ってらっしゃいます。
そのためには「お金がないからやめこと」なんて、うちに籠ったりしない。
知識の精度を上げないことには、アウトプットの精度も上がらないって、わかってらっしゃいますからね。
では、私のように「自分にはセンスなんてない」と思い込んで、何もしてこなかった奴はどうすべきなのか。
いつもと違うことをちょっとずつやっていく、のだそうです。
いつもと違うルートで駅まで行く、とか。
はじめて入るお店を増やす、とか。
やったことがないこと、行ったことがないところ、に行ってみるとか。
ヘアサロンで、自分が質問されてしゃべるんじゃなくて、スタイリストさんに質問してみる、とか。
本屋さんを一周して、気になった本や、読んだことがない雑誌を手に取ってみる、とか。
それらはすべて旅なんだそうです。
センスって、実はマナーだったんですね。
相手がいかに心地よい時間を過ごせるか、気配りをするのが、センス。
それは好き嫌いとか感覚とかではなくて、相手の世代とか、生活様式とか、歴史とかを配慮した上での、心地よさ。
その心地よさの精度が、どんどん研ぎ澄まされていっている。
そういう時代なんですね、現代は。
この本を読み終えて、読む前とは違う、センスに対する怖さが芽生えました。
それは、これまでの生き方は怠慢でしかなかったんじゃん? という怖さ。
ラクだけしたい、とは思わないし、挑戦することは楽しみでもあります。
でも、挑戦しても玉砕することもあるしね……。
知ろうとしても、知識の山が高すぎて、気が遠くなったり。
と言いつつ、多分、いじめとか、不登校とか、通信制高校とかについては、少しは知識あると思うので、そういう方面のことなら、少しはマシなアウトプットができるかも、と思うのでした。
得意な分野って、やっぱり「母目線」しかないし。(得意と言うか?)
しかし、その狭い得意分野に、すべての事象を結びつけることも、やり方の一つ、とのこと。
それだと、ちょっと頑張れそうな気がします。
できることから少しずつ。
ということで、最近ご無沙汰していた図書館に行ったり、ちょっとさぼっていた片付けをしたり、小さな変化をやってみるのでした。
子どもの面談で有休を取ったので、本当に久々に近所の図書館に行って、借りた本がカオス💧 pic.twitter.com/Ww1IQkRDJh
— ほんのよこみち📝 (@honno_yokomichi) 2019年4月12日