『友だち幻想』を再読して得た、私の人間関係に対する悩み解決方法。
ほんのよこみちです。
『友だち幻想』を再読しました。
この本、一度読んで記事にしてるんですけどね。
以前の記事はこちら⤵
今回再読しまして、気がついたこと。
前半(第1章~第3章)は、人とつながるというのはどういうことか、という論理。
後半(第4章~第8章)は、友だち関係の問題解決法。(大人の対応法も含む)
なので、私は大人ですから、自分が子どもたちや若い人たちに対して何ができるか、という視点で、後半を主に読みました。
ですから、以後の記述は、そんな大人の感想だと思って下さい。
という、この本から私が得た気づきは、以下の3つです。
① 組織のルールは最小化(「盗まず」「殺さず」)でいい。
学校とか会社とか、ネット上でもそうですけど、いつのまにかローカルルールが増えてますよね。
学校の校則も、管理する側の都合だけを考えた規則が多くて、なぜそれが必要なのか、論理的に説明できないものが多いじゃないですか。
規則で「あるべき姿」を押し付けるより、各自で考えて、各自のありようを模索した方が、人間として自然な気がするんですけどね。
なので、ルールは「盗まず」「殺さず」。
これも善悪の概念に由来するものではなく、「自分がやられたら困るものはやらない」。
その論理で行くと、LINEの既読無視とか、「自分がやられたら嫌だから必要なルール」になってしまいそうですけど、それをルール化されたら、自分も重いじゃんって。
だから、「盗まず」「殺さず」以外の「これ常識だよね?」っていうようなルールは、なくせるものはどんどんなくしていっていいのだと、気づきました。
② 人の記憶に残らなくていい。
人間って弱い生き物ですから、他人様には「いい人」って思われたいんですよね。
でも、自分の思うことが100%相手に伝わることはないので、まあ、最低限必要なことだけ伝わっていけばいいかな、と。
それで、まあ、相手に好印象を残さなくっても、そんな人いたっけかな? くらいでも、いいじゃん? と。
例えば、私はこうしてブログを書いたりしていて、ちょっとは人様の記憶に残りたいとか、まあ、下世話な野望も持っていたりしてたんですけどね。
しかし、好きで書いてるわけですから、今書ける喜びを堪能するだけで、これはもう十分なのではないかと。
好きで誰かに声をかけ、好きで誰かと話し、好きで誰かと行動する。
すべて、自分が好きでやっていることなんだし。
誰かの人生に、そこまで深く介入できないんだし。
マザーテレサとか、金八先生とか、そういう人を目指そうとしなくていいじゃんってことです。
③ 自分の中の、生のあじわいを深めるような言葉を増やす。
私は、あっちこっちでよくたしなめられる程度に、言葉遣いの悪い人間です。
なので、もう、自戒でしかありません。
この本で駄目だしされている「ムカつく」「クソっ」など、日常でよく使います。
「ていうか」は、このブログでも使ったことがある気がします。
341日前に、一度読んで記事にしてるはずなのに、学習できていませんね。
ああああああ、もう莫迦!
上記のような言葉は、思考停止語なので、多用していると、他者・社会との関係性を考えなくなっていきます。
それはつまり、自分のなけなしのコミュ力を、どんどん疲弊させていっているということで。
なので、そういう思考停止語ではなく、生のあじわいを深めるような言葉を増やす。
つまり文学などの本を読むことで、思考を深める言葉を増やしましょう、ということですね。
正直、私はあんまり小説が読めていないので、すっごい宿題感があります。
手っ取り早く、コミュ力の上がる方法があれば、それを試したい気分は否定しません。
それでも、やって意味があるの? と思えるようなことの奥に光がある、とこの本は教えてくれます。
まあ、すぐに身につく技術は、すぐに使えなくなる技術、とも言いますからね。
本を読むことで、言葉を増やすだけでなく、作者やキャラクターたちと対話をする。
その結果、いろんな考え方を知ったり、いろんな立場を知ることができる。
それらは、現実世界に十分応用できますよ、ということですね。
以上が、私の感想3点でした。
この本は、何度読んでも新たな発見があるので、個人的にはいい本だと思います。
今回、読みながらメモを取ることで、新たな気づきもたくさんありましたし、自分で考えることもできました。
ここまで読んでくださったあなたに、何か気づきのひっかかりがありましたなら、幸いです。