ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

6月1日は民主主義とテロについて考える日です。

ほんのよこみちです。

個人的に、6月1日は民主主義とテロについて考える日にしています。

去年もこんな記事、書いてましたね。

 

www.honno-yokomichi.com

 すべて、この人の影響ですね (^_^;) 

 

 

すみません、あまりにフィギュアの出来が良かったので、買ってもいないのに、画像を張り付けてしまいました。 

 

で、です。

テロはダメってわかるんですけど、テロとの戦いが戦いになってしまったら、結局、戦火を広げるだけで、誰も幸せにならない。

それは、2001年の同時多発テロ以降の教訓だと思っています。

テロリストを根絶やしにすることなんかできないし、あとからあとからテロリストは生まれてくる。

先日の、川崎・登戸の小学生と保護者の方を襲った事件も、テロですし。

犯人の不遇な生育環境に同情の余地はありますが、テロ行為は許されるものではありません。

テロリストを生み出さない社会にするには、どうしたらいいのか。

 

それはやっぱり、本人が自立して生きていけるような教育と、健康で文化的な生活を営むことができるだけの収入を得られる仕事、が必要なんだと思います。

途上国で内戦がたびたび起こるのも、根本はそういった問題ではないのかな、と思うんですが。

川崎の犯人も、苦難の人生を送っていて、未来に絶望していたのではないでしょうか。

だから、人を複数殺したら極刑になるということも、抑止力にはならない。

自己責任という言葉のもとに、簡単に絶望させてしまってはいけないと思います。

 

とはいえ、先の見えない現代ですから、人生に絶望してしまっている人は多いと思います。

文句ばっかり言う人を相手にする必要はない、って、私も人から言われたことがあります。

絶望しつつも、みんな頑張っているわけですからね。

泣き言ばっかり聞かされると、私も人間ですからたまりません。

じゃあもう好きにすればいいよ、って投げ出したくもなります。

 

でも。

人間ですから、いつも調子がいいとは限らないし、いつ病気になるかもわからないし。

失敗もしますし、思うようにいかないときもあります。

立ち止まっても、悩んだり苦しんだりしても、いつでもまた這い上がれるような社会、それが、テロリストを生みにくい社会ではないかと思います。

 

例えば、ひきこもりとか精神障害の人のための、就労支援をやっている施設があります。

うちの上の子も、お世話になっています。

でも、そこでいう就労って、正社員登用ではなく、アルバイトも含まれるんですよね。

当たり前じゃん、正社員って狭き門なんだからって思われれるかもしれませんが、それでは健康で文化的な生活には程遠い生活しか営めません。

 

例えば、就職希望者に介護職を紹介すればいい、という認識が、ずっとありました。

介護業界はいつも人手不足なわけですから、マッチングできるんじゃないかと。

それは、介護職の専門性を舐めている意見でもあり、結局低賃金でしかない職業で満足させればいいという支配者の意見でもあり、介護職も入所している高齢者のことも全く考えていない意見でもあります。

見せかけの解決策でしかないような気がします。

 

なので。

変化の速い時代ですから、常に学び続けないと、変化についていけません。

そういう学び続ける機会を広げ、学んだことを活かせ、かつ生活していける収入が得られるような社会に、どうやったらしていけるのか。

また「どうせ何やっても無理、無駄」と言って何もしない人が、生きる喜びを感じられるような世の中に、どうやったらできるのか。

絵空事かもしれないですけどね。

でも、最低限のセーフティーネットって、本来なら政治がすべきことでしょう。

この膨大な「絶望する人」に、どう未来を見てもらうのか。

 

私も確かに、卑屈になって何もしない人とか、他者から搾取することしか考えていない人とか、向上心のない人は、苦手です。

そういう人ばかりが寄ってくると、息が詰まりそうになります。

でも、完全に切り捨てることはできない。

だってその人たちも、誰かの愛しい息子・娘であるわけですから。

尊重されるべき一個人であるわけですから。

 

そのためにどうすべきか。

正直、まだまだわかりません。

ただ、模索し続けたいとは思っています。

毎年6月1日には、こういうことを考えたいと思います。