『天気の子』を観て考える、公共の福祉と生存権(ネタバレ前提)
ほんのよこみちです。
ちょっと前になりますが、『天気の子』を観てきました!
今回の記事は、ネタバレ前提ですので、ご了承下さい。
で。
空前の大ヒットを飛ばした『君の名は。』の次の作品ですから、まあ期待値は高くなりますよね。
映像の美しさ、音楽の合わせ方などは、文句なしだと思います。
前作が、エンターテインメントとしてのクオリティが非常に高い作品だったので、どうかなあ……という部分はあったのですが。
『天気の子』は、今、この時代だからこそ、つくられるべき作品だったんだなあと、思いました。
なんて、私は新海誠監督の作品を、さほど見ているわけではありません。
実は『君の名は。』も、映画館では観てなくて、TV放送で観たんですね~。
上の子が「母さんには合わなさそう」なんて言ってたので(;^_^A
まあ、若い子が主役の青春アニメを、今さら観てもな……という気はしないでもなく(^^;
なので、新海監督について、どうこう言える立場ではありません。
なんですけどね。
このラストは、今だからこそ意味のある選択だなあと、考えてしまうわけです。
まさか、この記事を、まだ映画を観ていない方が、読んでくださっているとは、思いませんけど。
これからネタバレがんがんありますので、お気をつけくださいね。
100%の晴れ女というヒロインの、不穏な未来については、もう最初っから全開で匂わせているので、観た方は、それがずっと気になっていたのではないかと思います。
陽菜は死ぬのか、助かるのか。
まあ、しょっぱなのモノローグで、主人公・穂高が「世界のかたちを変えてしまった」って言ってるんですけど、それがどういうことかなんてわからないし。
ストーリー構成としては、オーソドックスな流れで、穂高と陽菜は追い詰められていきます。
未成年であることの限界。
子どもだけで生きていくことの大変さ。
でも、ありえないような甘い大人が都合よく登場して、意外と手を貸したりして。
うん、そんなにうまく世の中はできていないよ、なんて、ちょっと思ったりして。
陽菜に「晴れ女業」をすすめたのは穂高なので、やっぱり責任は感じざるを得ないですよね。
ましてや、好きな子だ。
雨ごいならぬ晴れごいの代償として、陽菜は消えていきます。
なのに、警察に身柄を拘束されてしまう穂高。
ですが、穂高は脱走して、あの鳥居をくぐって天上にワープし、陽菜を連れ戻します。
東京の晴れと引き換えに。
陽菜の生命と引き換えに、東京は雨が降り続いて、街の一部が水没します。
3年間の雨。
この先、いつ晴れるともわからない、東京。
低地に住んでいた人々は、引っ越しを余儀なくされます。
都市機能は大きく変わらざるを得ず、被害総額は莫大でしょう。
3年も雨が続くと、水没していない他の地域も、カビの大量発生とかあるでしょうし、人体に影響が出ているかもしれません。
それでも、一人の少女の生命を救うことを選んだ主人公を、その決断を、私は支持したいと思います。
ヒロインを犠牲にして日常を享受する、そんな浪花節ストーリーにしなくて、ありがとうと言いたいです。
『天気の子』の世界の東京に住んでいたら、多分私も、晴れない毎日に不平を言っていたことでしょう。
これが現実だったら、少女に損害賠償請求権を振りかざす輩も、出てきていたかもしれません。
今の日本はそういう国です。
「こっちは迷惑を被っているんだから」って言う人、いそうですよね。
でもさ、人ひとりの命の方が、大切じゃないですか?
「彼女は自分で晴れ女業とかやって、自分で寿命を縮めたんだから、自業自得じゃん?」そういう声も聞こえそうです。
15歳の子に、そういう無慈悲なことを言えますか?
本人は知らなくて、皆が喜んでくれるからと、生活のためにやっただけです。
「未成年は児童養護施設に行くべきだ」って? それが本人は嫌だったんですよ。
自力で生きたかった、自立したかった、ただそれだけ。
この国は、未成年者に対する人権意識が、まだまだ薄い部分があります。
未成年者保護のための法が、逆に未成年者を縛っている。
未成年は、弱者です。
皆で守ればいいじゃないですか?
陽菜には、雨の中を生き続けるか、消えるか、その選択肢しかありませんでした。
穂高は、雨が止まずとも、陽菜の命を救う方を選んだ。
人の命は、消えればそれでおしまいです。
人生は、一度しかありません。
「皆の日常の(晴れの)ために、死んでくれ」なんて傲慢です。
東京には、1000万人以上の人が住んでいます。
1000万人が知恵を出し合えば、陽菜の命を守って、低地に住む人の暮らしも守って、水没したインフラに変わる新しいシステムも考えて、新東京がつくれるんじゃないですかね。
誰かの命を犠牲にして、1000万人が思考停止して暮らすなんて、それじゃあ人類は進化しません。
考えるから、我々は生き延びて来られたんです。
困難な現実も、知恵と工夫で乗り越える。
地球は、人類にだけ特別優しいという訳ではありませんからね。
数多の絶望的な困難を乗り越えてきたからこそ、今の繁栄があるんです。
そして、現状が絶対不変の楽園などでは、ない……決して。
未成年の純粋さは、大人の打算をものともせず、世界のかたちを変えました。
現実でも、ときに大人たちが、若者から与えられた宿題に、右往左往することがあります。
でも、自己責任だって突っぱねるより、頭をひねって問題解決させちゃう方が、格好いいですよね? すごく。
常識だから、伝統だから、規則だから、社会通念上、適切だから。
そうやって思考停止していると、感性も頭脳も、どんどん劣化してしまいます。
だから、子どものように純粋に、常識より、人の命や権利を優先させようよ。
それが、成熟した民主国家というものです。
なんてことを、映画を観終わってからずっと考えていました。
多分、この作品は、観る方によって違う解釈があるのだと思います。
少なくとも私は、大人として、すべての未成年者の権利を守ることに、もっと柔軟にならなきゃ恥ずかしいなと、考えるようになりました。
もちろん未成年者だけでなく、すべての人の人権を守れる社会にするには、どうしたらいいのか、とも。
現実は、難問山積です。
それでも、自分が生きているうちに、できることはやりたいじゃないですか?
死んだら何もできません。
生きている、今、この一瞬がすべてです。
ならば、やりたいことをやって、自己満足しながら逝きたい。
この映画は、自分の生き方を考えさせてくれる作品です。
面白かったです。
ありがとうございました。m(_ _)m