ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

ガルシア=マルケスの『エレンディラ』を読んで考える、子どもと女性の人権。

ほんのよこみちです。

ガブリエル・ガルシア=マルケスの『エレンディラ』を、二度挫折しながら読み終えました。

 

エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

 

というのも。

子どもの虐待がハンパなくて、読むのがすごく辛かったんです。

 

「奇跡の行商人、善人のブラカマン」どこが善人やねん

この本は、7つの小説がおさめられた短編集なんですが、6番目の「奇跡の行商人、善人のブラカマン」における虐待が、まずひどい。

 

どこが善人やねん? のブラカマンはどう見ても詐欺師で、主人公の「ぼく」を父親から買い取り、助手として使っていこうとするようなんですけどね。

でも、その思惑はうまくいかず、商売が暗礁に乗り上げてしまいます。

そして、すべては「ぼく」のせいだとして、ひどい虐待に走るわけですね。

目を覆いたくなるような、凄惨な虐待に……。

 

結末としては「子どもを虐待してはいけません」なのですが。

多分、ガルシア=マルケスもそう思っていたんだろうな、というのはわかるんですが。

ブラカマンは、小悪党でしたね。

 

エレンディラに対する虐待は、根も深く、後遺症もひどそうだと予想されるので、もうありえない

で、表題作でもある「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」ですよ。

エレンディラが祖母から受ける虐待のすさまじさは、ちょっと腹が立つどころの話ではありません。

 

まず、孫娘を使用人扱いだし。

少しの自由も与える気がなく、働かせ詰めという、ブラック祖母ぶり。

 

そして、エレンディラの不注意で、寝ている間に家が全焼してしまったため、その損害賠償請求を実の孫娘にするという……どういう鬼畜祖母なんだよ!

普通は「命が助かってよかった」じゃねえの?

しかも、財産分のお金を稼がせるために、孫娘に売春を強要するって、てめえの血の色は何色だよっ!

さらに言えば、その売春のさせ方が、さらに極道というか……。

行列ってなに?

人間扱いしてないにも、ほどがある(#^ω^)

 

「無情な祖母」とか「信じがたい悲惨の物語」とか、そんなおとなしい言葉で語っていいんですかね? このひどい性虐待物語を。

なんて言うと「風俗業だって、誇りをもってやっている人もいる」という意見も聞こえてきそうですが。

少なくとも、エレンディラに選択肢はなかったんでね。

その上、稼いだ金は。全部鬼祖母に持っていかれたんでね。

自由は一切なかったんでね。

この状況で、どんな精神が育つ?

 

幻想小説の中にある、消費社会と人権意識

エレンディラ』の中の短編は、どれもこれも現実から一歩はみ出した、幻想小説だと思います。

ある日突然、家の庭に年老いた天使がいた、とか。

普通の人とは思えない、大きな美しい男の死体があった、とか。

 

なんですけど、小説世界に生きている人たちは、どこか不機嫌だったり。

年老いた天使の扱いも、鶏舎の家畜のようだったり。

流れ着いた水死体の美男は、見つけた住民たちによって、ルックスだけのでくの坊ということにされてしまっていたり。

 

なんだろう、思うようにいかない現実への不満がまずあり、そのストレス発散としての消費行動が、ストーリーをつくっているように思えます。

老人天使見物とか。

水死体男の履歴を、想像して、物語をつくって、楽しむとか。

性欲の捌け口としてエレンディラを買う男たち……というのも、まさに消費行動ですね。

現実を生きる人間たちの弱さや醜さが、ぶちまけられたおもちゃ箱。

幻想の皮を被った、泥臭さ。

そういう時代であり、そういう社会だったんだろうなと、思います。

 

日本でも、今も子どもや女性の人権意識は低いですけど、昔はもっとひどかったですからね。

家族が食べていくために、娘を性産業に売るとか。

男子なら、十やそこいらで丁稚奉公に出すとか。

社会が成熟しないと、弱者の人権ってないんだなと、『エレンディラ』を読んであらためて感じました。

だから、上の世代の男性作家作品って、読むのきついんですよ。

現実を突きつけられるので。

 

文学は心療内科、と言われます。

考古学が外科で、歴史学が内科。

だから、人間を知りたければ、文学をやれと。

「ああ、こういうことか」と思いました。

 

何年に女性も参政権が得られたとか、いつごろフェミニズム運動が起こったとか、そういう歴史の教科書に載っているような記述では、わからないこと。

子どもの人権宣言なんてものが出るような背景は、どういうものかということ。

人間社会の意識というのは、文学にあらわれるし、また文学が、その後の人間社会の意識を牽引していくんだろうなと、思います。

だから、小説を読む意味があるし、感想を声に出す意味がある、と。

 

これからの作家さんに対する希望

なので。

これからの作家さんには、差別のない社会を描いてほしいな、とも思います。

SFでもファンタジーでもいいので。

女性が男性に、子どもが大人に、隷属するのが当然な社会ばかりを描かれると、現状肯定として刷り込まれるしね。

社会の不均衡を暴く作風って、そこには確かに価値があるんですが、二次虐待にもなるんですよ。

だから個人的には、なるべく差別や格差のない社会のお話が読みたいです。

ファンタジーでも。

 

ということで、ガルシア=マルケスを読むようになったのはここ半年のことなんですが、やっぱりいろんな作家さんの作品を読んでみるっていいですね。

とっつきにくい部分も確かにありますけど、視野は広がるので。

どうせ生きるなら、人間的に成長し続けたいじゃないですか?

頭のいい方々には及ばなくても、自分の足で、しまいまで歩いていきたいと思います。

 

ありがとうございました。m(_ _)m