『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、監督さんのゴジラ愛あふれる娯楽映画でした。
ほんのよこみちです。
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』観てきました~。
ほんっとに、監督さんのゴジラ愛がだだもれの、怪獣映画でした。
これ⤴は、劇場にあったパネルですけど、まあ、だいたいこんな感じの映画です。(ホントか?)
監督さんがゴジラが好きすぎて、ハリウッド映画なのに、ゴジラやキングギドラやモスラ、ラドンが出てくることに対する違和感がないというか。
ノリが20世紀のゴジラ映画みたいというか。
いえ、まあ、20世紀のゴジラ映画もいろいろありすぎて、一言では語れないんですけどね。
で、今回の感想をまとめてみました。(ネタバレありますので、ご注意下さい)
ハリウッド映画なのに、人間ドラマが希薄
ゴジラ映画としての違和感がなかったことのトップが、これではないでしょうか。
あくまで、主役は怪獣。
だからこそ、人間キャラクターが定型的というか、役割をやってます感はあります。
ただ、人間ドラマを描きすぎると、怪獣たちの比重が相対的に軽くなってしまうので、難しいところではあります。
私は、日本のゴジラ映画に近い割合を、違和感なく受け入れられました。
もう、これは、個人の好みの問題かもしれませんが。
主人公たちの命運が強すぎ
ハリウッド映画のお約束ですけど、主人公たち、死ななさすぎ。
現実だったら、もう何回でも、死んでます! 絶対に!
あんな近くで、ゴジラとキングギドラにドンパチやられたら、直撃しなくったって、致死量浴びてます。
あと、ゴジラが都合よくおとなしくなりすぎ。
ゴジラが、ちっぽけな人間を、いちいち個体認識しているとは思えないし、絶対殺しに来るだろうって場面で、わざわざ見逃すとは思えない。
まあ、そこで主人公グループを殺したら物語が終わってしまう、とか、大人の事情があるのはわかるんですけどね。
ちょっと、さすがに、ツッコミ入れたくなる……被曝の歴史を抱える国の人間ですから。
芹沢博士のセリフが意味深
渡辺謙さん演じる芹沢博士が、作品内でちょいちょいメモりたくなる発言をしてくれます。
「傷を癒すには、傷をつけた悪魔を許すことだ」とか。
「人間に自然はコントロールできない」とか。
上のセリフは、内容的にはキリスト教的でもあるので、ありうるセリフに思えますが。
下のセリフは、どちらかというとアニミズム的なので、意外な気がしました。
キリスト教思想だと、人間は神に似せてつくられたものなので、他の動物たちの上に立つ生き物とされていますからね。
それが、怪獣という、人智の及ばない他種を認めるという……。
今でも進化論を認めない人たちがいる国の映画、と思うと、複雑な気がします。
まとめ~ゴジラ愛は、すべてを包み込む
結構、ツッコミどころも満載の映画ですけど、ゴジラ愛がすべてを包み込んでしまう気がします。
やっぱり「好き」というパワーは偉大ですね。
今回映画を観て、この記事を書くにあたり考えたのですが、「日本人にとってのゴジラは何なのか」をちゃんと踏まえた上での作品になっているのではなかろうか、と。
ゴジラという怪獣コンテンツを持ってきて、アメリカ人用に料理したのではなく、ゴジラの歴史的位置を押さえた上で、作品をつくっている。
だから「東洋におけるドラゴンは……」のくだりもあるんですね。
ゴジラ=脅威の象徴というニュアンスが、多分、キリスト教徒のアメリカ人には、伝わらないかもしれないから。
そういう意味で、この映画は異文化同士をつなごうとしているようにも思えます。
ならば。
私たちも理解しないといけませんね、ハリウッド映画でどうして主人公が死なないか。
宗教観の違いでしょう。
神は絶対に主人公を見捨てない。正義で、よい行いをしている主人公を、見捨てることはなさらない。
主人公が死ぬことは、神の存在を否定することにもなりかねません。
何故なら、主人公は神と契約しているのですから。
その宗教観に立つと、犯罪者は殺されても、正義の主人公が物語半ばで死ぬはずはないんです。
もっとも、最初から主人公の死が決まっている映画もありますし、バット・エンドな小説もあります。
ただ、まあ、ゴジラは娯楽映画ですから。
互いの文化の違いに歩み寄りながら、理解を深めていけばいいんじゃないでしょうか。
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』観れて良かったです。
ありがとうございました。