ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

不登校生、テストを受けて帰る ~ 勉強をやるということの葛藤

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ほんのよこみちです。

我が家の不登校中学生が、テストを受けてきました。

週一回お世話になっている、NPO法人運営の塾のテストです。

不登校でも受験生なので、現状の学力を見る……というつもりで行かせました。

 

昨今の高校は、受験で学力を問わないところもたくさんあり、高校合格だけを考えるなら、受験勉強に四苦八苦する必要はありません。

不登校生を受け入れてくれる高校は、多くが勉強に習熟度制を取り入れており、そこまで心配しなくてもいいようになっています。

ただ、うちは上の子が、高校でも不登校になり、進級できなくなって中退したので。

高校卒業要件の普通科目でつまずかない、というのは、下の子の大きな課題なんですね。

100点を目指さなくていい。

ただ、単位を取れさえすれば。

 

今、苦手なことを苦労して克服するよりは、得意なことを楽しんでやった方がいい、とも言われる時代です。

うちの子も、数学を勉強するのが本当に嫌そうで、うだうだ文句を言いながらやっています。

でもね、そんな子も、小学校入学当時は、算数大好きだったんですよね。

これは、学習内容が難しくなって、わからない→つまらない→やらない→わからない、という負のループに過ぎないんじゃなかろうか、と。

誰だって、わからないものはつまらないし、つまらないことに時間を割きたくない。

そんなことをやる必要があるのか?

でも、わからないことがわかるようになったら、それは楽しみに変わるんじゃなかろうかと、母は思うわけですよ。

 

不登校の子たちは、教えてもらうというチャンスを失っています。

適応指導教室でも、英語と数学の先生は来てくれるようですが、その時間は学校の比ではありません。

勉強といえば自習なので、自習ができなければ、テキストを読んで理解する読解力がなければ、学習は進みません。

ネット上に良い学習動画もあるんですが、意識がそこまでいかないというか。

そこに自己責任論などを振りかざしても、かざす人間の自己満足でしかなくて、問題は何も解決しなくて。

 

嫌々やる課題をこなすことに、どれほどの価値があるのだろうか、とは思います。

社会の仕組みに合わせて、生き方を矯正したって、その仕組みそのものが時代に合わなくなってきていることを、子どもたちは感じ取っています。

ただ、学習は楽しく、楽しんで学び続けることそのものが、先の見えない世の中で生きていく必須条件ではあるわけで。

義務教育の勉強とはいえ、基礎教養のインプットとして、新たな興味の足掛かりにしてほしい。

私は学校へ行くことだけが是とは思わない派ですがね。

それでも、好きな分野の理論を立てるとか、好きな分野を哲学的に考察するとか、そういうのは必要だと思うし、そのための土台が、義務教育の基礎教養だとは思うんですね。

学校ではなく、学習は大事。

 

なので、嫌なことも我慢するのが勉強、なんて言って憚らないような学校とは合いません。

学習は、楽しくやってナンボ。

興味があることを、深めてナンボ。

できる喜びを感じてナンボ。

うちの子も、直前に勉強したところの問題は「できた!」と喜んでいたので、そういう肯定感の積み重ねこそが、人の幸福につながるんですもんね。

 

テキストを読んで問題を解く、なんて、ビジネスを起こすことに比べたら、全然簡単じゃん? って思うし、そういう思考を枠にはめるやり方って、発想力の貧困化につながらね? とも思うんですが。

楽しく教養が身について、達成感も得られる学習法って、きっとものすごく遠回りなやり方に思えるんだと思いますが、実は一番記憶に残る近道で、ただ集団授業に向かないだけで面倒くさくて。

結局、自分に合う学びって自分で見つけるしかないんかなあ……という途方もない答えにぶち当たってしまうので、じゃあもう親自身がそれを体現するしかないですよね。

 

ということで、子どもの勉強 を考えていたはずが、自分の学びに飛び火してしまったわ……(^_^;)

勉強とは言えないけど、今は『三国志』読むのが楽しいし、そこから人物像とか政治を考えるのも楽しいし、振り返って今の政治を考えるのも楽しい。

そういう楽しい姿を、子どもに見せたいと思います。

 

ありがとうございました。m(_ _)m