人間は読んだ本でできていると気づいた夏。
ほんのよこみちです。
上の写真は、下田からの帰りの風景です(だからなんやねん)。
この夏はいろいろと考えることが多かったのですが、考えるということは、それまで自分が読んできた本に支えられていると、しみじみ思いました。
私は本を読むことが好きですが、幸せは人が運んでくれるもの、とも思っています。
なので、読書も人様に会ってお話を聞かせていただくことも、大好き。
ですが、残りの時間を考えたとき、まず思ったのは「読みたい本を読もう」でした。
それでまあ、あれこれ読んでいるんですがね。
読みながらメモを取っていて思うのが、出てくる発想が、これまで読んだ本を全部引きずっているじゃん、ということでした。
歴史の本を読んでいるはずなのに、子育て論として考えているとか。
今は『歴史戦と思想戦』という本を読んでいるんですが、そのメモを取りながら、内省について考えていたり。(後半、内省という言葉も出てきたんですが)
なんというか、本から得られる知識とか、視点、思考というのは、やっぱり普通に庶民が日常を送っていたのでは、とうてい得られないものだったりするんですよね。
特に、周りが主婦ばっかりだとすると、政治経済の話題なんて出ないし。
子育てにしても、塾の話や入試や、毒にも薬にもならないお得情報ばかり。
なので、本を読むことで、全く知り合うチャンスのなかった人の頭の中をのぞけるというのは、本当にありがたいことだと思います。
もちろん、読書という行為は、ある意味逃げにもなりますので。
顔と顔とを合わせたおつきあいから得られる刺激も、重要だと思います。
単純な情報量としては、人と会うことの方が読書よりも多い。
その刺激量は莫迦に出来ません。
人と会うことは、絶対に必要です。
それとは違う深さで、本を読むことは、人間をつくることだと思うんです。
仲間内の情報だけで思考を回していたら、そりゃ仲間内では心地よいかもしれませんけど、それが外の世界に通じるか否かは別問題だし。
仲間内の情報にないものが必要になったとき、ネットに出てくる細切れ情報じゃ心もとなくて、自分自身を構築しようとしても、土台がぐらぐら。
なので、すぐに役立たないかもしれないけれど、いざというときに役立つ思考を育ててくれるものとして、本って大事だと思います。
それ以前に、活字を読むことが楽しくてしようがないので、私はまた読むんですけどね。
ご一読いただき、ありがとうございました。m(_ _)m