宮尾節子さんの『明日戦争がはじまる』を読んで、反戦より内省について考えてしまう……。
ほんのよこみちです。
『て、わた し第2号』でファンになった、宮尾節子さんのアンソロジー『明日戦争がはじまる』を読みました!
表題作は、かつてTwitterで爆発的に拡散された作品ですので、ご存じの方も多いと思います。
ですが、この本のAmazonの読者評価は、真っ二つに割れてたんですよね~。
反戦主張は妥当か否か、みたいな論点で。
私はTwitter当時の拡散には、乗り遅れていたんですが。(てか、当時、今のアカウントはまだなかったし、当時のは黒歴史すぎて入れない💦)
でも、読むと、そんな論争、どうでもよくなりました。
だって、別に狂信的な反戦主張があるわけでもなく、ごくごくまっとうな市民感覚が、淡々と書かれているにすぎなかったので。
クラウゼヴィッツの『戦争論』は、なんとなくわかりますけどね。
論理は論理、文学は文学。
そして命は論理だけで解決できるものではない。
- 作者: カール・フォンクラウゼヴィッツ,Carl von Clausewitz,清水多吉
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/11/01
- メディア: 文庫
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私はどちらかというと、メンタルケア(内省)を考える本として、この作品集を読んでしまいました。
特に気になったのが「子ころ」という詩。
ためしに
あててみる、こころに
子という漢字を
子ころ――(本文より)
こころとは、子(どもの)ころ、とは、なんて的を射た言葉でしょう。
私たちは、現在のモノの見方や考え方でものごとをとらえていると思っていますが、実は子どもの頃に見たり聞いたり感じたりしたことが、どこまでも自分をとらえて離さない、とも言われています。
幼少期の自分に戻って、じっくり自分自身と対話して、過去の不満を許していかない限り、生きづらさから逃れられない。
そういうふうに詠んでしまうと、作品集全体の癒しの効果を感じます。
という読み方を、勝手にしてしまうだけかもしれませんが。
戦争に対するハードルを下げつつある現代への警鐘的表題作は、確かにインパクトがあります。
ですが、生きるための内省と寛容さを、この作品集はより多く訴えている気がします。
使われている言葉は、当たり前の言葉。
わかりやすい言葉だからこそ届くものがある、ということの強さ。
奇をてらおうとしてじたばたしている自分の愚かさにも、気づかせてくれますね(^^;)
詩集としては非常に読みやすく、かつ多くを考えさせてくれる本でした。
先月、がっつり読んでいた文月悠光さんとも、全く違う作風で、詩の幅広さ、懐の深さをも感じました。
内省をテーマにすれば、自分にも何か書けるかもしれない。
そう勘違いさせてくれるくらい、寛容にあふれた本です。
言葉を届けることが
陽ざしを届けることに似ていたら
どんなにいいだろう(本文より)
そんな人間になりたいですね。
ちょっと前向きな気分になれたので、読めて良かったです。