勝間和代さんの『勝間式超コントロール思考』を、自分育て&子育てのテキストとして読んでみる。
ほんのよこみちです。
GW明けの一週間がやっと終わりましたね~。
10日の休みの間にたまった仕事が一気にきて、4日で10日分の仕事と格闘した方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そんなところで、GWに読んだ本の振り返り記事となってしまいますが、ご了承ください。
ご存じ勝間和代さんの『勝間式超コントロール思考』を読みました。
勝間さんはADHDを公表されていますので、自分向け半分、ADHDの子向け半分で、活用できるヒントはないかなと思い、手に取りました。
ADHDの知識を入れてから読むと、勝間さんのちょっととんがった部分も、その特性ゆえなのかも、ということがよくわかります。
勝間さんはとにかく、やりたくないことはとことんやらずに済む方法を模索されているようで、傍から見ると「そこまで?」と言いたくなるレベルです。
でもそれはホント、ADHDの特性の一つで、そういうものだから仕方がないんですよね。
問題は、いやだいやだと言っているだけなのか、勝間さんのようにやらずに済む生き方を追求するのか。
極端であっても、機械で代用してストレスから逃れる方が絶対いいわけで、そのやり方は勉強になりました。
何がストレスなのか、も、人によって違うわけで、例えば「移動」とか「時短」とかに関しても、先日読んだ『やりたいことを全部やる!時間術』の臼井さんと勝間さんとは、真逆のことをされていたりします。
でもそれって、何に重きを置くかが人それぞれ違う……ということなので、当然なんですよね。
勝間さんのやり方、臼井さんのやり方を、全部まねるというのではなく、自分の生き方に合うものがあれば、試してみる。
大事なのは、自分はどういうふうに生きたいか、ということなんだと思います。
自分の生き方を自分で考える、ということをやめないこと。
自分の人生を、誰かのモノマネに終始しないこと。
それではじめて、時間を、人生を、自分のモノにできるのだと思います。
そのための条件として、勝間さんは「知識を得ること」「選択肢を広げること」を挙げられています。
ラクできるための方法はないか。
この、調査する作業を惜しんではならない、ということのようです。
我々は子どものころから「我慢は美徳」と叩き込まれてきています。
でも、科学技術の進歩によって、もっとラクできる現実が存在することもまた事実。
そのための知識を得ることは、大前提として必要ということですね。
事実、勝間さんがさまざまなことをすごく学習されていることは、この本を読めばわかります。
試行錯誤も惜しまず、挑戦した結果「使えないマシンだった」という結論しか出なかったとしても、「一つ候補が消せた」と納得するポジティブさが必要なんですね。
だって自分の人生ですから、自分で試すしかないじゃないですか。
他にも、人間関係をコントロールするなら、とにかく他者に親切にすること、と利他心をすすめられています。
利己ではなく、利他ですね。
これは、先日観た映画『きっと、うまくいく』でも感じました。
どうしても、人間は損得を考えてしまいやすい生き物です。
でも、情けは人のためならず、自分がいい気持になるためにさせていただくのです。
だから出来る限り、人様に親切にしましょう、と。
これは、本当にそうだと思います。
損得で考えると、「○○してあげたのに、○○してくれなかった」などのように愚痴がすぐ出ますが、好きでやる行為は、行為そのものが報酬です。
でまあ、相手がこちらをカモとしか見ていないようであれば、距離を取ればいいだけで。
これはラクだろうな、と思います。
このほかにも、人間関係をうまく築くコツのようなものが、いろいろ記述されているので、その部分だけでも、おすすめしたいなあと思うんですが。
ADHDの方って、『ドラえもん』ののび太とジャイアンにたとえられもするように、幼少期から人間関係で苦労されてきた方も、いらっしゃると思うんですよね。
なので、そういう方のノウハウは説得力があります。
いろんな先生方が、これまでに言われてきたことと、大差ないかもしれませんが、でも本心を語られているふうなところが、いいです。
不快な人間関係に我慢し続けることは、やっぱり良くないんだなあ、としみじみ。
病気になってしまうのは、損ですからね。
以上、さらっと読めた割に、得るところの多い本でした。
この本を読み終わって、我が子の極端な部分にどれだけ寛容になれるか、胸を張ってもちろん!とは言えません。
親子であっても、わからない部分はわからない。
ただ「やる気のない奴にかかわる必要はない」なんて言って切り捨てることはできないので。
受け取るストレスの根本原因はなんなのか探りながら、ストレスを素直に認めながら、生きやすい方法を見つける手助けをするのも親の務めかなと、思うのでした。