十二国記『黄昏の岸 暁の天』を読みながら考えた、人間関係という思う通りにゆかぬもの。(ネタバレあり)
ほんのよこみちです。
コロナ禍の折、人間関係のめんどくささがしんどかったので、『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8 (新潮文庫)』を読みました^^;
現実逃避かなあと思いつつも、他者に疲れたら、本を読みたくなります。
特に小説。
もちろん小説でも、読むことで余計に疲れる作品もありますけどね。
難解な作品とか💧
なので、セレクトは大事です。
(以下、ネタバレご注意ください)
あらすじ
十二国記『黄昏の岸 暁の天』は、『魔性の子』の裏面的ストーリーで、戴国の将軍・李斎が景国に飛び込んできたところから始まります。
戴では、王と麒麟が行方不明となり、国がどんどん荒れていく……。
という記述が、これまでのシリーズ中でも見られましたので、伝聞調でしかなかった物語世界が、いよいよ明るみになっていく、そういうどきどき感が味わえます。
李斎の回想によって語られる、戴国のその後。
泰麒が、なぜ蓬莱(こちら側の世界)に戻ることになったのか。
そして、高里要が日本で高校生をしている間に、陽子や延王・尚隆らがどうやって戴国を助けようとしていたのか。
ほぼオールキャストの、泰麒奪還作戦が繰り広げられます。
個性豊かな面々が、戴国を助けんと協力する様は、正直嬉しいです。
困っている人を普通に助ける人たち
結局、困っている他者を助けられるか、それなんですよね。
だから、人間関係で疲れていたときに、この本を読むと心が和みます。
今もコロナ禍で、世界中の人が困っています。
そんな中、自分自身の楽しみにしか興味のない人もいて……。
他者の困難を、娯楽コンテンツのように消費して楽しむことに、罪悪感を感じない人たちが、悲しいかな世の中にはいます。
そういう人たちから浴びせられる罵声は、しんどいです。
だから陽子のように、困っている他国の民衆のために何ができるか、考えて、メンターに協力を仰いで、できるだけのことをやりたいと動く人は、清々しい。
景国だって、お世辞にも豊かとは言い難いけれど、それでも助けを求めてきた人を追い返すなんてできない、その気持ちが、多くの仲間を動かすんですね。
正直、縋り付いてきた手を振り払うような人は、信用できません。
他者は自分のためにある、と、どこかで思っているふしがあるので。
信用を集めるのは、何とか手助けできないかと考える、陽子のようなタイプです。
政治家・官僚として、登用してはならない人物像
この作品の後半で、罷免すべき官僚について、陽子が教えを受ける場面があります。
- 差別的発言をする者は、必ず権威を振りかざすから、権威を与えてはならない。
- 差別的発言を恥じない者は、道の何たるかがわからないから、国政に参与する資格はない。
- 実状を知らない者に、他者を批判する資格はない。
- 実状を知ろうとするより、憶測で罪をつくり、その罪をもとに他者を裁くことに疑問をおぼえない者に、権威を与えてはならない。
- 自分の不明、不足を自覚せず、己の不遇を容易く他者のせいにして弾劾するものは、信用できない。
- 法に悖り、道に悖る手段で弾劾を完遂しようとするものは、危険人物である。
原文の意を変えない程度に、少し文言を変えましたが、上記がほぼ引用文です。
これを読むと、なんか頭痛くなりますね。
失言政治家って、そもそもダメじゃん、みたいな。
と同時に、どういう人間が信用に値するのか、どうすれば自分が他者から信用を得られるのかも、わかる気がします。
自戒と自省の判断材料としては、なかなかのものではないでしょうか。
少なくとも、
- 他者を差別する発言をしない、
- 憶測で他者を批判しない、
- 自分の失敗や不遇を他人のせいにしない、
- 暴力で他者を支配しようとしない、
そういう人が嫌われる確率は、まあ低いですよね。
上記のをやっちゃう人に比べれば。
また
報われれば道を守ることができるけれども、報われなければそれができないような者は信用に値しない。
とも、今作で書かれています。
耳がイタイですね~(^^;)
会社が評価してくれないからやらない、なんて誘惑にかられることがありますもん。
現実の政治家の方々も、ちょっと自戒して欲しいなあと思いますね。
その言動は、国民からも世界の人からも、チェックされているわけですから。
「誤解を与えた」なんて謝罪は、ちょっともうなしにしましょうよ。
結局、人は能力ではなく人柄なのでは?
私も若い頃は、能力第一主義に親しみを感じる方でした。
ちょっとぐらいの性格の難は、能力でカバーできるよね、と。
まだコミュ力重視の社会ではなかったから、そう思っていたのかもしれません。
でも今は、人柄に勝るものは無いなあと思っています。
それは、それなりの発想力があるのに、人柄で損をしている事業主さんを、何人も見てきたから言えるんですが。
『黄昏の岸 暁の天』を読んで、あらためてこれを感じました。
信用できない人ではなく、信用したくなる人と、人間関係を築いていきたいと思わずにいられません。
でも、じゃあ、自分は人から見て信用するに足る人間なのか?
胸を張って「Yes!」と言える人って、実はそんなに多くなかったりして。
だからこそ、本を読む意味があるのかなと思います。
フィクションであろうがノンフィクションであろうが、他者を読むことで、自分を冷静に振り返ることもできるのでは? と思うので。
特に十二国記は、読者に自戒や自省を促してくれる部分のある作品なので、何度でも読み返す価値があると思います。
ありがとうございました。m(_ _)m