風邪をひいて思い出す、「自己管理」という言葉の棘
こんにちは、ほんのよこみちです。
うっかり風邪をひいてしまいました。
原因が、ダイニングでうたた寝をしてしまったことなので、もうお恥ずかしい限りですね(^_^;)
風邪をひいて思い出すのが、「自己管理ができていない」と言われたことです。
家族だった人に。
うちは、実家の父親も、私が体調不良になると機嫌が悪くなる人でした。
なので、具合が悪くなると、体調もしんどいプラス心が辛い……という感じでした。
大人になって、家族となった人にも同様のことを言われたときは、単純にしっかりしなきゃと思いました。
思いつつ、多分、心のどこかで、腹が立っていたんでしょうね。
しんどいときくらい、優しくしてくれたっていいじゃないか? と。
だから、私の中で、ずっとどす黒い感情が渦巻いていたのでしょう。
当時、小学生だった上の子に、私は無意識に言っていました。
「しんどいって、自己管理できてないよ」と。
悪魔ですね。
子どもの世話を焼きつつ、当たり前のように看病される子どもに、理不尽さを感じていたのでしょう。
私は、具合悪いと、怒られていたのに!
これが、いじめと虐待の心理なんですね。
さすがに今は「自己管理ができていない」とは言いません。
むしろ上の子自身が「自分は自己管理ができていない」と言っています。
親の罪ですね。
こうして虐待は連鎖していくし、子どもは子どもで自分を傷つけ続けているんですね。
私自身が「自己管理」という言葉の棘から脱却できたのは、自分自身の心の奥の願望と向き合えたからです。
それは「しんどいときに父親からいたわって欲しかった」とか「家族だった人にも、もっと大事にされたかった」とか。
決してもう手に入らないものですが。
手に入らないと理解することも、諦めることも、行為としてはしんどいことですが、それを経ることで、手に入るものもあるのですね。
このくにでは、何かと「自己責任」という言葉も飛び交いますが、棘さ加減でいうと、同じだと思います。
ひょっとして、他人様の「自己責任」が気になる人は、ご自身がいろんな場面で「自己責任」で追い詰められているのかもしれません。
ご本人のせいではない、運に左右されたに過ぎないんですけどね。
運が悪かった、と言っても、誰かが銀のスプーンを配ってくれるわけではありません。
でも、自分が誰かにスプーンを提示することはできます。
安っぽい、心もとない匙かもしれませんが……。
自分を否定し続ける我が子を、肯定し続けられる親でありたいと思っています。
政治談議になると、白熱して、子どもを論破しちゃったりするんですけどね(;´Д`)