文月悠光さんの『洗礼ダイアリー』を読んで、詩人の詩人たるゆえんを考えてみた。
ほんのよこみちです。
今、個人的にどっぷりはまっている詩人・文月悠光さんのエッセイ集を読みました!
文月悠光さんといえば、最年少で中原中也賞を受賞された方です。
なのでその第一印象は、早くから才能を開花させた詩の天才、でした。
お顔も公開されてますが、クールで知的な美人だなあと。
勝手な想像ですけど、学生時代はクラスの巫女さん的立ち位置で、一種の信仰対象になるような方だったのでは? などと、思っていました。
……なんですけど。
この本には、神ではない、人間・文月悠光さんがいらっしゃいます。
教室の空気を読んで、キャラを演じて、でもそんな生き方に生きづらさを感じていた、普通の女子高生だった文月さん。
詩人になって、東京に拠点を移して、めんどくさい男どもに振り回されてしまう、普通にかわいそうな文月さん。
でも、本を読んだりお話を考えたりするのは、小さなころから大好きで。
日記を書き始めたら止まらなくなったり。
その日記を「短く端的に書けたらいいのに」なんて、とても小学生の発想じゃないよ!な発想から、詩を書き始めた文月さん。
そしてまさかの、中学時代に公園で詩の朗読ライブをひとりでやってしまう、つわものぶり!
なんでしょうね。
やはり、16歳で現代詩手帖賞をとってしまうような方は、凡人のように思考停止していないのでした。
実は私、このエッセイ本を読む前に「この本を読めば、文月悠光さんの詩作の秘訣がわかるかも」なんて安易な考えをもっておりました。
甘かったですね~。
どうすれば詩がうまくなるかって、それは、小さなころからの積み重ねですよ。
もちろん、もともと才能がおありの上で、本を読みまくる、日記や詩を書きまくる、朗読ライブで表現力を鍛える……。
いわゆる、没頭、ですよね。
好きなことの努力は努力ではない。
好きなことをやるのは、楽しいのだから!
王道を歩んでこられた、ただそれだけのことだったんですね。
凡人は、すぐに結果を求めたがります。
「これやってなんになるの?」って、思ったりしたことありませんか?
でも、そんなんじゃないんだよ~! と、この本は教えてくれています。
人から変な顔されても、好きなことはやろうよ。
結果が出なくても、将来が不安でも、だったらなおさら、やれることをどんどんやろうよ。
この本を読みながら、今の若い方って、本当にすごいなあと思いました。
バブル世代とは、行動力が違う。
詩の良さを普及するためにアイドル業界に飛び込むとか、考えつきもしませんでしたよ。
発信力の強さ。
だから、次世代を担う若手詩人として、活躍されているんですね。
それにしても。
どうも文月さんて、おじさんに振り回されている感があるんですよね。
この本の、生きづらさを綴られている部分を読んで、すごく親近感がわくと言うか、この方を応援したい! と思いたくなるのはわかるんですが。
山手線の男とか、ちょっとどうなんだろう……と、しばきたくなります。
実は、この記事書きながら、次のエッセイ本も読み始めちゃっているので、そちらの空気も引きずっていますけど。
なんか男性陣、文月さんの人権を軽視してませんかね。
生きづらいのは、皆さんなんだかんだある人生を送っているわけですから、仕方がない。
仕方がないのに、あれこれアドバイスをされても、ちょっと重いのではないか……と。
特に恋愛は……無理に型にはめようとしてもですね、人の気持ちって変幻自在ではないし。
ああ。
だから、この方の本は人の心を打つんでしょうね。
この本には、詩人・文月悠光さんの原動力でもある没頭する力と、等身大のご自分をさらけ出しているが故に多くの方の支持を集めている人間的魅力が、閉じ込められています。
詩がうまくなりたければ、とことん詩を好きになりましょう。
生きづらさを感じているのであれば、それを文章で表現してみましょう。
でも凡人は、客観的におのれの弱点を分析することが、苦手です。
そんな怖いこと、できれば気がつかずにすませたい。
集団の中の個としての自分なんて、冷静に考えたら、辛いです。
その辛さを手放さないで、真正面から取り組んでおられるからこそ、この方は詩人なのでしょう。
単に、書きたいことを、言葉を工夫して並べれば詩になる、というわけではない、ということですね。
じゃあ、どうすれば詩がうまくなるのか。
楽な近道なんかはない。
自分で行動するのみ。
ですかね。