自分と世代も考え方も違う人と話をしてみると、自分がどうしたいのかが見えてくる。
ほんのよこみちです。
ヘアサロンに行きまして、30代前半のスタイリストさんと話をしてきました。
え? 髪を切ってもらったんじゃないのって?
スタイリストさんとのお話も、楽しみのうちの一つなんですよ~。
ここ数年お世話になっているスタイリストさんは、その接客技術で学べることがたくさんあったので、ずっとお願いしています。
いろいろお話しさせていただくうちに、その方の人となりを伺うことができます。
特に、店付きスタイリストから店長になられた方なんですが、陰で非常に努力されていることとか。
経営者視点でのお話を聞くことも多々あり、とても参考になります。
なんですが。
そういう方とであっても、意見が合わないと感じることはあります。
違う人間ですから、完全に意見が合うことなどありえません。
特に、私がいろいろ本を読んだりして学べば学ぶほど、違いが顕著になってくる気がします。
私の考え方が、ビジネスの世界を突き進んでいく30代とは違う……ということなんでしょうね。
この方に限らず、例えば若い参加者の多い読書会などでも、意見の違いをとても感じました。
一言で言うと、アドラー心理学が強いな。
自分の弱さに負けないぞ! という意識を持っている若い方、結構多そうなんですよね。
それ自体は、格好いいと思います。
実際、先の見えない世の中で生き残っていくには、甘えや言い訳を封じ、目標に向かって、柔軟な発想で、結果を出していく……というのが求められているんだな、と。
それは、わかるんです。
私も若い頃は、弱さは敵だと思ってました。
子どもたちが、つまずくまでは。
20代30代って、多分、人生のうちで一番力強いときだと思うんですね。
だから若い方たちには、老人に足を引っ張られることなく、どんどん伸びて欲しい。
ただ、弱さを封じる言葉は、時には暴力になりうるわけで……。
人間って、相対的に弱者である期間が、確実に存在するんですよね。
自分では望まない不自由を、背負わなければいけないときも、結構あるし。
そういうものに気づいてもなお、「努力して這い上がれなければ自己責任」とは言えないかなあ……。
諸行無常な世の中ですから、黙っていても誰かが助けてくれるとかないし。
自分で動くということをしないと、行政サービスだって受けられないし。
頑張れば頑張った分、自分の軌跡は自分の努力の賜物だって、そりゃあ誰だって思いたい。
すべてたまたま運が良かっただけ、なんて、自分の努力も実力も否定されてるみたいで、そんな言葉で片付けられたくない。
その気持ちは、すごくわかる。
と同時に、同じスタートラインに立てない人も、実はたくさんいるわけで。
虐待を受けて、心の傷を抱えて苦しんでいる人。
貧困家庭に生まれて、教育について希望を持つこともできない人。
本人の責任ではないことで、差別を受けている人。
「家庭環境や境遇は、一切関係ない」とは、私には言えません。
もっと大事にされたかった。
もっと愛されたかった。
そういうことに向き合うことも、重要なことだと思うんです。
抱っこを欲しがっていた自分を封じることは、他者が欲しがる愛を封じる意識につながるから。
他者を愛せない人生なんて、つまらないじゃないですか。
私は今50歳ですし、体力も記憶力も発想力も低下してきています。
この先、何ができるだろう……と考えたときに、やっぱり人様を応援したいなと思ってしまうんですね。
結局は、自分の子どもたちがかわいいし、その延長線上にいる、よそ様のお子さんたちもかわいいし。
「余計なお世話」と言われても、かわいいもんはかわいい。
目の前にいる人は、必ず誰かのかわいい我が子です。
愛させていただく、というのが、私の幸せなのかなあ……と思う次第です。
多分、自分と同世代の人たちとばかり顔を合わせていたら、こんな気持ちにはならなかったでしょう。
違う意見の方と話をすることは、時に辛くなることではありますが。
ぬるま湯の中にだけいたのでは、学びは深まりません。
もっと、いろんな方とお会いしなきゃな~と、その重要性をひしひしと感じたのでした。
ありがとうございました。m(_ _)m