双子のライオン堂さんで開催された【詩人・大崎清夏さんとめぐる世界の詩】の「第一回・中南米の女性詩」に行ってきましたレポート。
ほんのよこみちです。
一昨日のことになりますが、双子のライオン堂さんで開催された【詩人・大崎清夏さんとめぐる世界の詩】の「第一回・中南米の女性詩」の回に参加してきました。
いよいよ本日!14:00〜 双子のライオン堂 @lionbookstore
— てわたしブックス (@tewatashibooks) November 10, 2019
にて詩人・大崎清夏と巡る世界の詩 第一回です。
第一回は中南米の女性詩
人種や、フェミニズム、生まれま国のことなど、さまざまなことを語る詩人の声に触れる一日。
ご来場お待ちしていますhttps://t.co/WcQINj2pUs pic.twitter.com/Z6qTjhl3zv
詩人の大崎清夏さんと、ゲストの駒井睦子さんのトークで、講座は進みます。
この回では、4人の中南米の女性詩人についての解説と、代表作の紹介がありました。
アルフォンシーナ・ストルニ(1882-1938)
アルゼンチンのフェミニズム詩人として有名だそうですが、実はフェミニズム詩は全作品の1割とのこと。
1割なのにそれが代名詞になるということは、当時の状況がどうだったか……ということですよね。
幼少期に経済的に苦労していたり、100年前の時代にシングルマザーとなって差別を受けてたり、ちょっと個人的にすごく感情移入してしまう人ですね。
乳がんを患ったのちに自殺してしまうとか、あの世で出会ったら「頑張られましたね」と声をかけたい方です。
……って、日本語で言っても通じないか( ̄▽ ̄;)
駒井睦子さんが専門で研究されてらっしゃるようです。
12/7に五反田の清泉女子大学で、アルフォンシーナ・ストルニの一日講座をなさるそうですよ⤴
「あなたは私に白さを望む」という詩では、女性にばかり要求を突きつける男性に対し、平等でありたいという願望を突き付けています。
ローリステリー・ペーニャ・ソラーノ(1989-)
ドミニカ共和国生まれの黒人女性詩人です。
この方の詩集『卑劣』に、前述のストルニさんの「あなたは私に白さを望む」という詩が入っているということで、そこにもいろいろ意味がある……ということのようですね。
つまり、ストルニさんはいろいろ苦労しても、白人だから……と。
日本の中にいる日本人には、まだまだ肌感覚としてつかみづらい被差別意識ですが。
「水」「宣言」という詩にも、自由とか個人としての尊厳を欲している姿とかが、伺えます。
ナンシー・モレホン(1944-)
キューバを代表する詩人のひとりということで、なんかいろいろ賞を受賞されているすごい方みたいです。(無知ですみません)
キューバは黒人奴隷売買の中継地点だったので、「黒い女」という奴隷の歴史と解放を描いた、かっこいい詩を書かれています。
でも、詩に突然コミュニズムとか出てくる……ああ、社会主義国でしたねという20世紀の歴史と現実を突きつけられたりして。
ケティ・ブランコ(1984-)
キューバ出身の女性詩人で、大崎清夏さんのお友だちだそうです。
宗教学の学位を持っているような方で、今はスペインに移住して、文学活動をされているとのことです。
「誰かそこにいるの」「私は永遠に語れない」など、閉塞感を思わせる詩を書かれています。
まあ、というくらい、キューバでの生活は大変なようですね。
トランプさんが、いろいろしっちゃかめっちゃかにしてるしね。
スペインは文化保護にお金を使う国だそうなので、日本も見習ってほしいなあと思うのでした。
以下、考えたこと。
駒井睦子さんの、スペイン語朗読が楽しい。
私はスペイン語って全くわからないんですが、駒井睦子さんが朗読されたスペイン語詩が、すごくいいんですよ~。
音のリズムとか響きとかを聞くだけでも、楽しい。
意味は分からないけど、音を楽しむってこういうことなんだなあと感じました。
外国語って、勉強しなきゃって思いながら聞くから「全然わからな~い💧」となったりするのかな、と。
響きやリズムを味わうだけでも、その国の呼吸を感じとれるわけですから、そういう国際親善活動があってもいいのかもしれないなあ……と思いました。
アジアの中にいると、人種差別に疎くなるという現実を知れ。
これは、私の意識が徹底的にアジアに向いているせいかもしれませんが。
(下の子からも「母さんの口から出てくる歴史上の人物は、モンゴル人と中国人」と言われてます)
なので、白人・黒人関係の空気感に気づくのに 、やっぱり一瞬遅れるんですね。
『三国志』の孫権は、赤毛で青眼とかですけど、「そこ特に重要じゃありませんから!」みたいな感じでしたしね。
まあでも、今の世の中で「疎いんです~」じゃあすまないし。
海外の詩人の詩を読むということは、そういう自分の無知との対峙なんだなと、気づきました。
世の中には、知らないことがたくさんあります。
死ぬまで勉強……ですね。
100年たっても、女性の人権がテーマになることに絶望しない方法。
冒頭のストルニさんが1882年生まれで、ソラーノさんは1989年生まれ。
100年たっても、女性詩人は女性の人権をうたわなあかんのか~い、っていう虚しさは、あります。
人権問題を永遠のテーマにしちゃ、いかんでしょ。
でも、状況が改善しないのって、人類の半数が「既得権益を手放したくない側」だからなのかなあ……と勘ぐってしまうのですよ。
差別とは、己の無能感に打ち勝てない弱者のやる行為です。
他人を批判している限り、自分は強者でいられますからね。
てか、この世は、権力者が権力者でありつづけるための仕組みを、数千年も構築されてしまっている社会なんだな、と、そんな本をちょっと前に読みましたね。
まあ、そういうもんに対抗するなら、100年たっても大変なのは仕方なく。
でも、虐げられることに慣れてちゃ、状況はますます悪くなるばかりで。
だから、自分の無能さに嫌気がさしたとしても、絶望せず、安易に他者を批判して留飲を下げる心地よさに溺れることなく、生きてゆきましょう……ということですかね。
詩の文学性を語るには、知識と能力が必要。
文学の知識と教養は、現代ではなんか軽んじられがちですが、若いときにそういうのを身につけておかないと、年を取ってからでは厳しいです。
なので、若者の皆さんは、文学を摂取してくださいm(_ _)m
私は、小説より歴史レポートの方がおもろいやん、って感じたクチなので、文学の何たるかがわからないまま、50になってしまいました。
もう今さら無理かなって、薄々気づいてるのに、見えないふりしてます。
文学は大衆のもんじゃあ~、なんて、あほな虚勢はったりして。
今回も、『て、わた し』に載っている詩を翻訳された方が、その詩について語られる……というので、参加しました。
50の手習いで。
お話を聞かせていただいて、多分、講座の趣旨から離れた受け取り方をしている部分も、多々あるかもしれませんが、個人的には、気づきの多い時間をいただきました。
やっぱり、多少無謀でも、突撃してみるもんですね。
学びたい方向も増えたので(黒人奴隷の歴史についてとか)、楽しみが増えました。
ありがとうございました。m(_ _)m