石垣りんさんの詩集『レモンとねずみ』に、老いて生きることの励ましをもらう。
もうすぐ50歳になる、ほんのよこみちです。
Twitterでこういうツイートをしたものの、ちょっと考え込んでいました。
時々、行動した人や結果を出した人は価値があるけど、行動しない人にはない、みたいな言葉を見かけます。確かに行動する人はすごいし、結果を出し続ける大変さもわかります。でも、人としての価値は、何かを成したかで左右されるものじゃない。行動できない人にも、同様の価値があります。
— ほんのよこみち📝 (@honno_yokomichi) 2019年4月27日
だって、結局お前は行動していない側の人間じゃないか、と。
このブログも、4月の更新は、ほんっとうにご無沙汰していました。
なんやかやばたばたしていたのも事実ですが、それ以上に。
書かないでいると、怖くなるんですよね、次に書くのが。
書いても書いても、全然、納得のいく記事にならなくて。
それでさらに怖くなり、書かない自分に逃げたりして。
上のツイートだって、結局は自己弁護じゃん?ってツッコまれても否定できないし。
そんな折も折、読んで助けられた本が、石垣りんさんの『レモンとねずみ』。
ハードカバーなのに文庫サイズで、まず読みやすいんですが。
石垣りんさんの詩って、言葉がやさしくて、あたたかいんですよね。
でも、ただあたたかいだけではなく、日常を冷静に見据えた鋭さも併せ持っている。
私が救われたのは、「母の景色」という詩の中の、次の言葉です。
やさしさは浸蝕され
愛は打ちくだかれ
希望は流されても。
半島のゆるぎなさで
あなたは母でありさえすればいい。
この詩を読んだとき、これまでのもやもやが一気に晴れていく気がしました。
私は何かを成した人間ではないけれど、母親として子どもに向き合うことだけは、つまずきながらも手放さずにやっている。
それだけで、生きた証としては十分なんじゃないだろうか、と。
上の詩以外にも、この詩集には、石垣りんさんが向き合う「老い」や「死」が書かれています。
亡くなられた後に発行された遺作なので、余計にそういう部分が見えてしまうのかもしれません。
石垣りんさんは大正生まれの方なので、今よりずっと、女性の生き方としては、窮屈な思いと向き合い続けて来られたのだろうと推測します。
実際、生涯独身な上、老いた親を抱えてその生活を支えて来られたようで、ご自身を給料袋にたとえた詩も書かれています。
切ないです。
切ないですけど、格好いい方だと思います。
人生って思うようにならなくて、子どものころに夢見たような生き方はできないかもしれないけれど。
地べたを這いずり回りながら生きて、あっけなく死んで消えていくのかもしれないけれど。
それでも、あなたがあなたでありさえすればいいんだよ。
そう、背中を押されたような気がしました。
私はたまたま、母親という役割を背負った人生を謳歌しておりますが。
人それぞれ違う生き方が尊重されるべきだと思います。
大きなビジネスを回している人も、専業主婦の人も、非正規雇用の立場で頑張っている人も、今は休んでいる人も。
たまたまその人がそういう状況にある、というだけで、収入の多寡や立場の違いが、その人の価値を左右するものではありません。
状況の違いは、やっぱり運に左右されますから。
子どもは親を、生まれてくる時代を、選べません。
だからやっぱり。
あなたはあなたでありさえすればいい。
私はこの詩集を読んで、救われたのでした。