吉川英治『三国志』(8)が読み終わらないまま、孔明の北伐について考えている。
ほんのよこみちです。
吉川英治『三国志』(8)を読んでいますが、なかなか読み終わりません!
(以下、ネタバレあります。ご了承ください)
まあ、理由はわかっているんですけどね。
諸葛孔明と司馬仲達の戦いって、一進一退の小競り合いばっかりだし。
五丈原で孔明が死ぬのはわかっているので、死に向かって突き進んでいくってのは、やっぱり読んでいて辛いし。
そして、あらためて考えても、北伐って必要だったの? って、疑いたくなってしまうし。
諸葛孔明は、君主である劉備の死後、劉備との誓いを果たすために、魏を滅ぼして中華統一を目指します。
この時点で、呉を倒すべき相手として考えていないあたり、なんだかなあなんですが。
なんだかなあといえば、結局、彼が見ているのは故人である劉備だけなんかいな、ということ。
蜀の民や、部下たちや、遺児である劉禅(でも、もうそこそこいいトシだと思う……)の意見は、取るに足らないものと考えている感じ。
私も諸葛亮は好きなんですが、冷静に見ると、自分に酔ってる男……というふうにも見えます。
確かに、彼は優秀だし、物事をいろいろ知っているし、機転もきくかもしれません。
でも、蜀に人材がいない、などと嘆いているあたり、それは己の職務怠慢じゃい……と思わないでもない。
ま、軍師として劉備にスカウトされたわけですから、人材育成係として登用されたわけじゃないですから、その辺は不得手だったのかもしれないですけど。
ただトップに立つ以上、不得手じゃすまないんですけどね。
自分が不得手なら、得意な人を登用して、人を育てる努力をしないと。
どこまでいっても軍師だからなのか、戦歴を積み続けることで、部下の戦力を維持向上させようとしたのかなあ……という気もします。
でも結局、兵士も民も消耗していくし、修羅場で向上する能力って、そもそも本人がもともと持っている能力でしかないから、孔明は人を育てる気は薄かったんじゃないでしょうか。
自分が能力高いもんだから、他人は誰も頼りなくふがいなく見えただろうし。
最終的には、関羽も張飛も認めていましたけど、終始頼りにしていたのは、趙雲でしょう。
いい人材がいれば、たとえ敵方の武将であっても、手に入れに行く。
三国時代って、そういう考えの国主が伸びていく時代でした。曹操もそうでしたね。
つまり、未経験者を採用して育てるのではなく、経験豊富で有能な人材をヘッドハンティングしていく雇用体系だったわけです。
もちろん未経験者も雇いますけど、本人の能力がさほどでもなければ、頭数としての消耗品💧
弱い奴は、勝利のために殺す踏台……程度にしか考えていないから、教育を施して能力の底上げをしようなどとは考えない。
こういうふうに読むと、ちょっとしんどいですね。
私は孔明の北伐には否定派で、蜀の地形を利用して守りに徹した方がよかったと思っています。
天下統一にこだわるあたり、ちょっと三国の力関係を甘く見ていたというか。
余計な戦を控えて、富国に勤めた呉が、一番国力ありましたよね。
内向きな保守戦法じゃなくて、蜀の国の発展を第一に考えた上での、守りの戦略。
蜀が魏と呉を滅ぼすより、まず魏と呉を戦わせて、両方の国力が落ちたところで叩いて漁夫の利を狙う方が、絶対天下統一の可能性、出そうでしょ。
そのための陰謀戦なら、少なくとも蜀の兵士は死なないし、お金もそこまでかからないし、なにより民に優しい。
国家は皇帝のためではなく民のためにある……なんて、当時は考えなかったでしょうけど。
ま、これも後世の人間だから、言えることなんですけどね。
吉川『三国志』は小説ですから、実際の孔明がどう考えていたかなんて、わかりません。
一生懸命だったのは、わかる。
でも、一生懸命になればなるほど、孤独な人生だったんだろうなと思われてなりません。
誰も信用せず、誰にも心を許さず、故人に縛られて、死に場所を求めるかのように戦いに明け暮れる。
彼を丞相と慕う者たちも、怖かったんじゃないでしょうか。
なんてことを考えながら、もうすぐ五丈原というあたりを読んでいます。
現代は、孔明にとっても吉川英治氏にとっても、存在しない世界です。
自分が死んだ後の世界なんて、自分には存在しないのだから、今存在している世界をかみしめながら、精一杯生きていこう。
今日が明日が良い日でありますように。
ありがとうございました。m(_ _)m