『八九六四』を読んでから、あの頃のことをずっと考えている。
ほんのよこみちです。
『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』を読んでから、ずっとあの頃のことを考えています。
- あのとき、天安門にいた若者たちの声が、ここにある
- 天安門の失敗した理由
- 天安門事件がその後の世界史を変えたのは、周知の事実
- 国家権力維持にために必要なのは、国民の豊かな生活だけなのか
- やっぱり名君に支配されるのはラク、だと思いたがる人間
あのとき、天安門にいた若者たちの声が、ここにある
この本には、あのとき天安門広場にいた人たち、直前や直後に行った人たちなど、1989年6月4日のあの時代に生きた人たちの声が、あります。
若い人たちには、歴史の教科書で見た程度かもしれない、天安門事件。
でもこの本を読むと、ホントに普通の学生たちが、半ばノリで突き進んでたんだなっていうのが、よくわかります。
と言うと、酷なようですけど。
でも、今ほどピリピリした時代ではなかったのも、事実。
経済的には、西側諸国に後れを取っていた頃ではありましたが、人民は一様に豊かではないけど食える……という状況でしたからね。
ましてや大学生は、エリート予備軍。
理想と元気にあふれている。
私は当時二十歳で、もろに天安門同世代なので、読みながらあの時代を思い出しました。
あの頃、中国だけじゃない、韓国でも台湾でも民主化運動があったように記憶しています。
日本人だけ、こんなのほほんとしてていいの? と焦ったんですよね。
当時、日本では消費税導入がありました。
それまで贅沢品にかけられていた物品税を廃止、所得税の累進課税も緩和。
税の徴収対象が、金持ちから庶民に移行し始めた、その時代です。
大金持ちと小学生が同じ税率って、ちょっと子どもがかわいそうじゃない? って思ったんですけどね。
私自身、親と意見対立して経済的余裕がなかったので、3%だってきつかったし。
でも、デモをしようとか思わなかったんですよね。
消費税は、そのまま現在に至ります。
天安門の失敗した理由
天安門事件の失敗した理由についても、この本で向きあうことができます。
- 学生たちにプランもノウハウもなかった。
- 本気で政権を打倒するつもりはなかった。
- デモの意味がわからないまま広がり、大衆がついてこれなかった。
等々。
当時の大学生と言えば、エリート予備軍。
そもそも中国は、科挙合格者が長きにわたって政治を指導してきたお国柄ですから。
文化大革命の時代を除けば、高学歴・知識人が圧倒的に強い社会……というのを、再認識いたしました。
だから、非知識人層との間には、壁がある。
その格差の壁が、デモの失敗にもつながった。
エリート予備軍とはいえ、学生たちは社会のしがらみに囚われない、ある意味自由でいられる立場。
だから、社会人エリート層からは「甘い」という目で見られた。
人脈を繋げられなかったのも、敗因の一つ。
でも、それらは結果論で、当時の学生たちを批判する資格は、当時何もしなかった私にはありません。
すごいね、と思った。
中国人は行動力あるなあ、と思った。
日本も、政治の潮目が変わる予感がしてた。
でも何もせずに、テレビの報道だけ見てた。
天安門の学生たちに仮に非があったとしても、戦車で武力弾圧するのは駄目です。
天安門事件がその後の世界史を変えたのは、周知の事実
天安門のデモは失敗し、今も共産党の独裁体制が中国では続いていますが、あれ以降、世界史が変わっていったのは、周知の事実ですよね。
ベルリンの壁崩壊。
東側諸国の民主化。
ソ連の解体。
湾岸戦争で、多国籍軍なるものができたとき、夢かと思いましたもん。
東側と西側の国々が、共に戦っているなんて!
(……まあ、10数年後のイラク戦争につながったりもするんですけどね。)
だから、あの事件は決して無駄じゃなかったと思うんですが。
でも、亡くなられた命は、戻りませんし。
人生を狂わせた中国人が多くいることも、あらためて知りました。
それでも世界第二位の経済大国になって、30年前に夢見たような豊かな暮らしは手に入れている(人もいる)。
自由はないが、豊かさはある(ただし、エリート層のみ)。
非エリート層は、貧しい生活に耐えながら、政府にも追われる羽目になる。
なんか、納得できません。
自分の国が少しでも良くなったらいい、と、そう思っただけなのに。
うまく立ち回って、権力者の側についた人もいれば、つかまってぼこぼこにされた人もいる。
自分の身を守る知識と教養と人脈のある人だけが、豊かで安全な生活を送ることができて、それらのない人は、下手をすれば獄死。
天安門がなければ、ここまで締め付けが強くならなかったかもしれない、なんて!
国家権力維持にために必要なのは、国民の豊かな生活だけなのか
中国で同じようなデモは、もはや起こせないかもしれません。
なにしろ豊かになったので。
あの頃みたいに、民主化して豊かな生活を……なんてのはファンタジーだって、わかってしまったので。
東西ドイツ統一による格差は、やっぱり旧東側諸国の人たちには強烈みたいですね。
豊かになれると思ったら、2級市民扱いの差別と失業が待っていた。
それまでの知識や経験は、西側の世界に出たら、なんの役にも立たなかった。
自尊心の崩壊です。
そんな失敗に陥らずに、豊かな生活が手に入ったら、現状肯定したくなるのも仕方がないのかもしれません。
経済的豊かさと、国家に殺されない(ように自己防衛した上での)安全性。
民主主義を知らないまま育ったら、我々もそうなるのかもしれません。
なぜなら。
「世界で最も共産主義の成功した国」らしいですからね、当時の日本は。
でも、香港のデモや、台湾のひまわり学生運動を見てもわかるように、民主主義ってそんなもんじゃないんですよね。
国家に殺されない、なんて当たり前のことだし。
自己防衛しなきゃならない、なんて、安全でもなんでもないし。
やばいですよね。
民主主義について、教科書以上に自分で学んでいかないと!
興味がない、なんて言ってる向こう側に、未来の姿があるわけですから。
やっぱり名君に支配されるのはラク、だと思いたがる人間
日本人もそうですけど、苦労して民主主義を手に入れていない国、もしくは民主主義を知らない国の人たちって、名君に支配されるラクさから脱却しづらいのかな、と思います。
いや、だって、名君に支配されるって、ラクなことこの上ないんですよ。
考えることを全部名君がやってくれるから。
名君の指示どおりに動けばいいし、その指示が間違ってるとは思えない。
自分が考えるのは、半径2メートルくらいのことでいい。
奴隷根性ってやつですけどね。
今、選択したがらない若者が多いっていうのも、結構危険だなと思うんです。
失敗したくないから、自分で選択したくない。
流れてきた情報を消費するだけの、器でいたい。
だから、いい情報を流してほしい。
それは、独裁者のいいカモですが、大丈夫ですか?
もう一回、地獄を見ないと駄目なんですかね。
1945年までの破滅を、振り返りましょうよ、せっかく祖先の残してくれた教材があるんですから。
反面教師として。
中国の人たちは、もう何千年も、支配者がいるのが当たり前で来てしまったので、その辺の諦めは、我々より強固なんだと思います。
支配者はどうしたっている。
ならば、その支配者とうまく折り合いをつけて、より多く旨みを得た方がいい。
たくましい根性だと思います。
でも、私はそれに倣うことができない。
どんな名君も、名君で居続けることは難しいし、名君の後継者が名君であり続けることは、さらに難しい。
命が奪われてしまったら、すべておしまいだから。
自由と人権は守っていかないと。
というようなことを、この一週間考えていました。
考えたからって、どうにかなるものでもないんですけど、考えずにはいられない。
見なかったふりは、もうできません。
天安門事件を知らない若い方にも、考えていただけたら幸いです。
ありがとうございました。m(_ _)m