十二国記『風の万里 黎明の空』を読んで考える、人は強くなければならないのか。(ネタバレあります)
ほんのよこみちです。
十二国記の『風の万里 黎明の空』も読んでます!
まあ、十二国記を読むのは辛い部分もあるので、こんな時に読むのはどうよ? と思ってしまう部分もあるんですけどね。
この作品は、十二国記の世界において、地方官僚の不正悪行とどう戦うか……というお話です。
上巻はひたすらに辛く、故に後半はすごく面白く読める作品ですね。
わくわくさ加減で言うと、これまでのシリーズ中、一番じゃないでしょうか。
それと同時に、人はどこまで強さを求められるのか、という問題と向き合うストーリーでもあります。
陽子、祥瓊、鈴という3人の少女が、思うようにならない環境に放り込まれ、もがきながら、自分の弱さや醜さを突き付けられていきます。
今回は、3人が向き合わねばならなかった現実と、でも本当にそれらは本人だけの責任なのか、その辺を考えてみたいと思います。
シリーズを通してのネタバレがあるかもしれませんので、その辺はご了承ください。
言動を全否定されても、立ち向かえるか。
主要登場人物のひとり、陽子は、人の顔色をうかがいながら成長してきました。
故に、自分よりも年長で有能だと思われる官僚たちに全否定され続けると、自信を失います。
あからさまに莫迦にされている、四面楚歌な状況に陥り……要するにハラスメントなんですけど。
でも、ハラスメントなんてのは、それが駄目だという共通認識がある社会でしか成り立たないものなんですよね、残念なことに。
無知無能なヤツこそ罪……みたいな認識がまかり通るような社会では、何も言っても無駄。
昭和の日本みたいに。
特に、陽子の立場は王ですから。
いかんせん、普通の女子高生だった陽子には、政治の世界はわかりませんから、当然と言えばそうなんですけど。
周囲の官僚たちからしてみれば、「使えねえヤツ」となっても仕方がない。
民主主義だったら、そんな人選はありえないんですけどね。
物語の展開上、陽子に拒否権はないので……。
残酷と言えば、残酷な話です。
また、汚職し放題の奸臣たちからしてみれば、陽子をいじめて傀儡にしておけば、好き勝手に私腹を肥やせるわけですからね。
いじめないわけがない。
ひどい話ですが、権力の裏側なんて、だいたいそんなもんですよね。
人間の歴史的に。
いざとなれば、知らぬ存ぜぬで、誰かに責任をなすりつけて逃げてしまう。
これが人間の弱さ醜さかと、知れば知るほど、標的にされた人間は、心身共にぼろぼろになっていきます。
私にも心当たりがないわけじゃないんで、陽子の状況は、読んでて本当に辛い……。
そんな中で陽子は、現状を打開するために、行動を起こします。
自分を全否定してくる連中をどんなに否定したくても、まずは自分の不足部分を知り、学び、成長することなんですね。
強くなったな……と思うとともに、延王・尚隆がメンターの役割を果たしていることも、彼女を前進させている要因かもしれません。
目の前に、有能な名君としてのお手本があるわけですから、嫌でも成長の必要性を感じるでしょう。
ハラスメントが良くない、というのは、大前提として存在するんですが、でもそれだけではどうしようもないのが現実で。
自分の言動がハラスメントにあたるか否か、なんて、自分では気づかないものですからね。
だから、自分で前に進むしかないんですよね。
至らない自分、に立ち向かう方が人生の近道だと、終始語ってくれるのが十二国記です。
親の罪を子どもはどこまで背負わなければならないのか。
一方の祥瓊は、芳国公主であったものの、父王の圧政に苦しんだ民衆から責められて、苦難の日々を歩みます。
何も知らず、お姫様としてちやほやされてきた祥瓊が、最下層の生活に落とされ、いじめられて暮らすというのは、読んでいて辛いです。
我々は誰だって、幸せないい暮らしをしたいと思う。
日本人は特に「損をしたくない」民族ですから、「他人以上に自分が裕福でありたい」とつい思ってしまう心根もあります。
それは、否定しがたい。
ただ、祥瓊が求められたのは、人より裕福な生活を親に与えてもらった人間は、その自覚を持って生きなければならない、ということで。
ちょっと前の東大の入学式か何かで、そういう言葉が出ましたよね。
私も、そんな記事を書かせていただきました。
人生っていうのは、本当に運に左右されていると思います。
誰もが、親を選べない。
いや、親を選んで生まれてくるんだっていう人もいますけど、それ、選ばされてるっていうのも含めてじゃないですかね?
家庭環境を自己責任にしてしまうのは、人間の言葉じゃないです。
それが、裕福な環境に生まれた子にも言えるのか? ということなんですよね。
裕福な立場で、親が人の道に悖る行動をして、立場の弱い人たちを苦しめた(虐殺した)場合、その責任を子も負わねばならないのか。
個人的には、親の因果が子に報うというのには反対です。
親子であっても別人格だし、親が罪人でも子に罪はありません。
ただ、それとは別次元の問題として、民衆感情が存在するということなんですよね。
しかも、恵まれた立場にある人間は、他者よりも裕福であるが故に、愚かでいることが許されない。
民衆が苦役についている時間分、苦役につかなくていい代わりに、世界を学んで賢くあらねばならない。
それが、民衆の求める、権力者の子の姿ですから。
これは、逆差別だし、理不尽なことだと思いますよ。
好きで権力者の子に生まれたわけじゃないし。
ただ、それでも恵まれていたことに変わりはないわけですから。
我々も、そういうことを考えなきゃいけないんだと思います。
日本に生まれたが故に、生まれながらに持っているものと、そうでないものについて。
自分の立場ゆえに持っているものと、そうでない人のことについて。
パワハラには、負けずに対抗しなければならないのか
3人目の少女・鈴は、陽子と同じ、日本から十二国記の世界に流れ着いてしまった海客で、それゆえに言葉が通じないという苦難に向き合います。
誰とも話ができず、底辺の生活をしながら旅をしていて、仙人の梨耀という女性に出会い拾われます。
仙人であるが故に、梨耀とは言葉が通じたんですね。
梨耀の下僕となることで、鈴も仙籍にしてもらえ、他の下僕たちとも言葉が通じるようになります。
ただ、梨耀のいじめはすさまじかった。
鈴がターゲットにされ、いじめがどんどん増長していくことで、他の下僕たちからも辛く当たられるようになります。
逃げたいと思っても、逃げて仙籍を外されたら、また言葉の通じない世界に逆戻りですから、それが怖くて、ひたすら我慢し続けます。
命の危険を感じるまで。
これはもう、パワハラ以外のなにものでもないですし、閉ざされた翠微洞の中でのパワハラですから、鈴が思考停止したって仕方ないよね、と思うんですが。
まだ見たことのない景王に希望を抱いて、自分を救ってほしいと思うくらい、とがめられることじゃあないよなあ、と。
なので、嫌だと言わないお前が悪い、みたいな方向になってしまうと、それは強者の理論だよって思ってしまいます。
パワハラしてくる相手の気持ちを考えないって言われても、それを考えられる余裕があれば、とっくにやってるって。
特に、鈴のように追い詰められた人には、何らかのケアが必要なんじゃないかと思うんですがね。
確かに、鈴がどんどん意固地になっていく様は、見ていて歯がゆいものがあります。
可哀想なのはお前だけじゃない、って言いたくなる気持ちもわかります。
それだけの強さが、それでも鈴にはあったから、まだ倒れずに前を向けたのでしょう。
でも、もっと弱い人間だったら?
死んでいたかもしれません。
自分は世界一可哀想で、他の人は自分よりみんな幸せ……そう思ってしまうと、確かに世界を狭めます。
そんな人の不幸アピールにつき合っていると、しんどくもなります。
ただ。
自分って実は不幸だったかもしれない、と気づくことも、必要な場合があるんですよね。
そこに気づかないまま、日常生活を送っていると、自分が受けた仕打ちを、平気で他者にも仕向けるようになるので。
ハラスメントの連鎖、ですね。
キャラクターたちの強さに、めげる必要はない
陽子も祥瓊も鈴も、芯の強い人だと思います。
彼女らの強さには、脱帽するしかありません。
しかし、だからといって、弱い人間が引け目に感じる必要もないと思うんですね。
強いとき、弱いときというのは人それぞれで、特に今は多くの人の心が弱まっているときかもしれません。
でも、それはその人のせいじゃないですし。
個人的には、いろんな本を読んだり映画を観たりして、いろいろ感じて、個々人が考えていくことで、その人に応じた変化が少しでもあれば、いいのかな、と。
十二国記のシリーズを読んでいくことで、考えることが増えていくのなら、それでいいのかな、と。
フィクションだから、自分とは関係ない、と切り捨てることもできるでしょう。
現実が辛いんだから、物語の世界くらいは、夢だけ見ていたい、と。
それもいいですけど、ちょっともったいない気もします。
楽しむためのエンターテインメントとして、消費に徹するのは。
人間は、この世の「お客さん」ではいられませんから。
まあ小説ですから、それぞれがそれぞれの楽しみ方でいいと思います。
説教臭いから苦手……でもいいと思うし。
ただ、陽子たち三人の、不器用だけど前向きに立ち上がろうとする生き方は格好いいので、そこは見習いたいなと思います、私は。
仙籍ではない人間の寿命なんて、たかが知れてますから。
十二国記の面白さを、少しでもお伝えできたら……というより、前半の辛さを、少しでも緩和できたら、幸いです(なんじゃそりゃ)。
ありがとうございました。m(_ _)m