ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

宮尾節子さんの詩集『女に聞け』を読んで感じた、現代に女として生きる腹の括り方。

 ほんのよこみちです。

宮尾節子さんの詩集『女に聞け』の読了記事を、書かせていただきます。

詩とは何か……という文学論ではありませんので、そこのところはご了承ください。m(_ _)m

 

女に聞け

女に聞け

 

 

どの詩も、読むと心揺さぶられ、泣きそうになる。

表紙もタイトルも、一見ちょっと怖いですけどね~。

でも、この本におさめられている53の詩は、どれも心に来ます。

言い方は薄っぺらいのですが、読むと泣きそうになります。

私は普段、読書しながら「これは!」と思う箇所をノートに抜き書きしているのですが、この詩集は、ほぼほぼ丸写しになりそうだったので、辞めました(^_^;)

 

宮尾さんの詩は、剥き出しの現代人の心に届く母性……という気がします。

イマジナリーマザー……というんですかね。

深い深い人類愛。

ページをめくるたびに、魂を揺さぶられる言葉に出会います。

何度も読んで、魂の救済に立ち会うのです。

迷ったときに手に取って、さりげなく道を示してもらう、灯りのような詩集です。

 

母性からくる魂の叫び。

宮尾さんの詩には、反戦のメッセージがあるものが多いです。

他にも、反原発や、いじめ、虐待、政治的なメッセージ性のうかがえるものが、多々あります。

それらは、母性からくる魂の叫びだと思います。

表題作「女に聞け」もそうですね。

 

そういうものに対して、若い方の中には「理想論」と、冷めた目で見る方もいらっしゃるかもしれません。

うちの上の子などもそうなのですが(-_-;)

でも、だからこそ、母親が叫ぶ必要があるというか、理想論だろうがベタだろうが、誰かが叫び続けなければ、平和も自由も人権も、あっという間になくなってしまうものでしかないというか。

現代に生きる母性としての覚悟……みたいなものも、この詩集から感じました。

 

女とか母親とかっていうのを前面に出す生き方って、いろいろ弊害もあったりします。

特に、宮尾さんや私の世代は、今よりもっと女性蔑視がスタンダードな時代を通り抜けてきましたしね。

私も、今でこそブログでおかんキャラを出してますが、自分が女である=敗北、みたいな屈辱感をずっと感じていました。

でも、そういう屈辱感を経た者だからこそ、見える世界があるのかもしれない。

 

命のやり取りを、母親は出産という行為を通して、経験しています。

だからこそ、どの子の存在も愛おしい。

理想を見ずに、現実肯定だけでは、人はラクな方へ流れていきます。

理想に近づけるための試行錯誤をし続けなければ、社会は破綻していきます。

どの人も、かけがえのない命だから。

自由や希望は、失われていいものではないから。

宮尾さんの詩に、向きあう必要があるのだと思います。

 

朗読と黙読で雰囲気の違う、二度おいしい感じ。

先日、この本の出版記念ライブにお邪魔したので、余計に感じるのかもしれませんが。

やっぱり耳で聴くのと、本という形式のものを黙読するのとでは、感じ方が変わりますね。

メディアが違う、ということでしょうか。

例えば「誰が世界を語るのか」という詩の、鬼気迫る感じは、宮尾さんのライブを脳内再生しながら読むのと、そうでない場合とで、かなり違います。

その違いを知ってしまうと、わざと宮尾さんとは違う調子をイメージしながら、黙読してみたり。

寂しいひとり脳内劇場ですけど、言葉の受け取り方の可能性も感じたりして(^▽^;)

詩の朗読ライブって、ガチで詩を勉強してる人が来てるのかなあ……などと妄想を膨らませながらびびって敬遠してたんですがね。

視野は広く持った方が、より楽しめる……ということなんでしょうね。

 

詩とは、何なのか。

冒頭で、文学論はやりませんできませんって書いたはずなんですけどねぇ。

でも、あとがきに書かれていた宮尾さんの言葉が、すごく印象的だったので。

 

詩そのものが本来、主旋律(メロディライン)を基軸に織りなす、編曲の作業なのかもしれません。では、わたしのメロディラインは何か。それは読者の方に想像して頂くほかありません。人の命や人の自由を奪わぬもの、失望に負けぬものであることを、自分の手から旅立つことばに願うばかりですが—— 

 

宮尾さんの中には、人としてのメロディラインが、ぶれることなくあるのですね。

そしてそれは、この時代に生きる者として、女として、母としての、腹の括り方なのかもしれないなあと、思いました。

しっかりとした基軸の上の、言葉の編曲としての詩。

だから、読者の心を打つ詩になるし、人格も培われて、皆が大好きな宮尾節子さんになる。

詩を書く、言葉に向き合うということは、自分の生き様を見せるということ。

その覚悟を、自分としてどう持つか、どう腹を括るか。

そこがぷらぷらしてると、大臣ポエムみたいになるよってことですかね。

 

詩人としての道は、奥深いです。

一見入りやすそうに見えて、でも実はどこよりも険しい道で、奥義のかたちすらわからないかもしれません。

だからこそ、精進されている方の作品は素晴らしくて。

人生を立ち止まって考えさせてくれる詩集や詩人さんに出会えたことは、本当に幸福です。

人は幸福になるために生きている。

次は、自分の生き様を示す番ですね。

 

女に聞け

女に聞け

 

 ありがとうございました。m(_ _)m

 

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