『銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱第二章』を観て考えた、民主化と歴史の教訓。
ほんのよこみちです。
『銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱第二章』を観て来ました。
前回の続きということで、第二章ではあらすじ等が入ることなく、お話が進みます。
原作も読んだし、石黒版のアニメも見たよ、というファンからしてみると、
みんな生きてる~
というのが、まだまだあるので、OPで鳥肌が立ってしまいます(^_^;)
戦争モノだし、ストーリーは完結しているので仕方ないんですが、昔見たアニメの子どもたちが頑張ってる……という感覚で見ているので、なんですかねえ、まあ死なせたくないんですよね。
第二章では、帝国を二分する内乱で、ラインハルトはその鎮圧に終始します。
同盟では、救国軍事会議によるクーデターがおこり、ヤンはなけなしの同盟軍と同士討ちをやることになります。
ジェシカが格好いい!
『銀河英雄伝説』は1980年代の小説ですから、やっぱり当時の空気感をどうするかというのが、Die Neue THeseの課題ではないかと思われます。
婚約者のジャン・ロベール・ラップを、ざるのような戦略の結果喪い、政治家になった女性ですね。
石黒版でも強い女性に描かれてはいましたが、どこか儚げな印象というか、ヤンにちょっと精神的に頼っている? と感じさせるようなシーンもあり、強そうに見せているけれどもか弱い女性……という全体像があったように記憶しています。
まあ、原作のジェシカがそれですからね(今、読み返しました)。
弱いのに強がっている非力な女性が、防御も固めぬまま行動を起こした……。
屈強なボディーガードもそろえずに、スタジアムで集会するとか、無謀すぎるよ~って思った記憶があります。
なんですけど、ノイエのジェシカは格好いいんですよね~。
台詞もほぼ同じなのに、より強く感じるのは、声優さんの演じ方と、一度銃でぶん殴られた後に、立ち向かっていった、それでしょうか。
かわいいだけの女じゃない、政治家としての強さがある。
このジェシカ、すごく好きです。
結果は変わらないのに、こんなにも印象が違う。
民主化に対する思いを感じます。
ヤンの「目上」発言はどうとらえる?
これ、原作にある文章なんですけどね。
ヤンを褒めるユリアンに対して「目上の者を褒めるんじゃない」と諭す場面。
映画を観ながら、これが結構ひっかかっていました。
相手が軟弱な人物なら、うぬぼれさせて結局だめにしてしまうし、硬すぎる人物なら、目上にこびる奴だとうとまれるかもしれない。
この論理云々というより 、ヤンがユリアンに対して、自分を目上の者と言ったところですね。
ユリアンは、ヤンの養子です。
この場面の現場は、戦艦ヒューベリオンの中で、ヤンは司令官、ユリアンは軍属で部下です。
ヤンは、上官としての自分を「目上」と言ったのか、「養父」としての自分を目上と言ったのか。
軍隊ですから、上官は目上です。それはわかる。
だが、原作にある通り、ヤンはユリアンに対して「父親ぶっている」のですよ。
つまり、養父としての自分が「目上」だと言っていることになる。
なんか、21世紀のヤンにあるまじき、家父長制封建主義みたいだなあ~。
これが1980年代の空気の名残なんでしょうかね。
私もうちの子も、親を目上などと考えていないし、会社の上司でさえ、そうとは思っていません。
会社の中で、管理職と平社員とパートって、役割分担が違うだけだと思っているし、能力が高かったり人格者だったりする人は、年齢役職関係なく尊敬できるし。
学校では、教師や保護者を「目上の人」と道徳で教えているのかもしれないけれど。
なんかもう、先に生まれただけとか、先にお金を稼ぐ能力があっただけとか、そういうので敬われる時代ではないですよね。
それでも、この台詞が削られなかったということは、未だそういうものに囚われている人が結構いるということですかね。
まあ、立場の強い人間が、既得権益を手放したがるわけがなく、だからより支配的な態度に出るとか、そういうやつですね。
社会で生きていくには、そういうめんどくさい連中をあしらい続けなければいけない部分もありますから、そういう意味で「(自分を)目上(と思っている連中)」というのは成立し得ます。
そこを言ってしまうと身もふたもないというか、10代のユリアンがそう思うことによって、ユリアン自身の謙虚さを破壊してしまうかもしれない恐れというか、そういうことまでヤンが考えた……というのは、深読みのしすぎですかね(^_^;)
オーベルシュタインはキルヒアイスの韓信化を恐れた。
ラインハルトは、親友で腹心のキルヒアイスを重用し続け、辺境の平定を任せます。
キルヒアイスは、あのとおりの人格者でいい人ですから、住民に慕われ「辺境の王」とあだ名されるようになります。
だから、オーベルシュタインは「No.2不要論」を出して、キルヒアイスの突出を抑えようとするんですね。
このあたりで、全国のキルヒアイスファンから、オーベルシュタインは嫌がられます。
キルヒアイスには、野心も他意もなく、ただただミューゼル姉弟のためだけに生きているような人ですからね。
でも、彼みたいな人は、稀ですから。
辺境を手中におさめたのなら、それを利権をむざむざ他人の手に渡すだろうか。
韓信のように、独立をもくろまないとも限りません。
韓信とは。
中国の秦末漢初の武将で、劉邦の部下にもかかわらず、一時は主の劉邦をもしのぐ勢力を築いた人です。
その最盛期に、独立勢力となることを部下からすすめられますが、劉邦への恩義から拒みます。
しかし、劉邦が天下統一した後、讒言等から劉邦の不興を買い、冷遇され続け、最期は謀反を起こすものの失敗して殺されます。
もっと早くに独立しておけばよかった……という言葉を残して。
オーベルシュタインも、こういう歴史的事実を知っている上での、提言ですからね。
悔しいけれど、その思考は間違いじゃない。
ただ、人間の心理って計算通りにはいきませんからね。
実際、韓信はあ~、あの人だったし。
一度与えた栄誉を奪うことほど、まあ反逆を生みやすい状況はありません。
本人にその気がなくとも、状況が人を追い込みますからねえ。
……しまった。お口チャックです(^▽^;)
まとめ?
ということで、現代と昭和と古代中国が入り乱れる『銀河英雄伝説 Die Neue These 星乱第二章』、宜しくお願いしますm(_ _)m
ヤン・ウェンリーの名台詞も健在です!
「もうすぐ戦いが始まる。ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。勝つための計算はしてあるから、無理をせず、気楽にやってくれ。かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べれば、たいした価値のあるもんじゃない……それでは、みんな、そろそろ始めるとしようか」
こういう司令官の下で、働きたいですね。
まあ、軍人には絶対なりたくないですけど。
愛国心を振りかざしながら、他者に犠牲を求める人間は、信用できませんね。
『銀河英雄伝説』が書かれたころより、現代社会の方が絶対に危ういので、現在進行形で楽しめる作品です。
ありがとうございました。m(_ _)m