「大切な人」と言われたら、申し訳ないが我が子しか思いつかない。
今週のお題「大切な人へ」
ほんのよこみちです。
今週のお題が「大切な人へ」でしたので、そんなん言われても、我が子しか思いつかんし~、と思いつつ、私事を書かせていただきます。
うちは、上の子が不登校から高校中退→ひきこもりになって、今は就労移行支援事業所でPCの勉強をさせていただいています。
下の子も不登校になり、この春より、私立の広域通信制高校に進学します。
上の子はADHDで、興味のないことをやるのが苦手。
下の子も勉強は苦手ですけど、なんとか頑張っています。
うちはシングルなので、かなり子どもたちを振り回してきたと自覚しています。
気をつかわせたことも多々。
経済的な我慢も、結構させてきました。
「どうせ無理でしょ? わかってるから」って言葉を、何度聞いてきたか!
子どもたちがこの先ラクに生きられるように、と考えて、学校への登校や、社会で生きることの難しさなど、口酸っぱく言ってきました。
今は、政治に対して思考停止しないことを、ついくどくどと言ってしまいます。
誰だって、我が子には幸福を味わってほしいですからね。
私は、決して良い母親ではありませんから、子どもたちが私のもとに生まれたことは、生涯最大の不幸かもしれません。
もっと裕福で、もっと穏やかで、もっと弱者の痛みのわかる母親の子であったら、今、子どもたちが感じている不幸は、半減していたかもしれません。
それでも。
私にとって、子どもたちにめぐり合わない人生なんて、もう考えられないんですね。
すべての幸福は、子どもたちがいる、ここ十数年に集約されていますから。
自分の思うとおりにならないことも多々ありますし、自分の人生って何だろう、と悩んだことも数知れず。
それでも、子どもたちがいるというこの幸福は、なにものにも代えがたい。
それは、子どもたちから「こいつは自分に危害を加えないだろう」という、絶対の信頼感をいただいていることです。
毎食、出した料理を疑うことなく食べてくれ、迷いながらした助言も、肯定的に受け止めてくれる。
まあ助言の方は、年齢とともに、信頼レベルが怪しくなってきていますけどね、向こうも成長して、自分で考えるようになるので。
それでも、悪意はないと感じ取ってくれる、その信頼感ですよ。
こんなの、我が子しか与えてくれません。
そして、信頼感以上の幸福は、私にはありません。
生まれてきてくれて、ありがとう。
今、生きていてくれて、ありがとう。
もうそろそろ子離れしないといけないのですが、まだまだ心配で、うっかり死ねません。
100歳まで元気で生きて、ありがとうって伝えたいですね。
とはいえ、私の人生もなんやかんやいろいろありましたんで、母親一年生の頃から、この境地にいたったわけじゃないです。
泣き止まない我が子に、絶望したこともあるし、部屋から出て来ない子と、バトルになったこともあります。
それでもその都度、いろんな方々や本によって、助けられたからですね。
私は本当にラッキーだったと思っています。
だからこそ、子どもが親の想定を超えた人生を歩んでも、信頼したいし、できれば信頼のリレーもしたい。
人として、素晴らしい方と出会ったら、どんどん信頼したい。
その結果が自分の想定外だったとしても、いい勉強には違いなく。
一度しかない人生ですからね。
そういうふうに、残りの人生を生きていきます。
自分以外に「大切な人」があるって、本当にありがたいことだと思うので、その幸福を大事にしていきたいと思います。