積読本だと思い込んで『日本史のツボ』を読んだら、実は再読で、ブログ記事にまでしていたという、老化現象と鉢合わせした件について。
ほんのよこみちです。
前回『ラテンアメリカの文学 族長の秋 (集英社文庫)』などという、非常にめんどくさい小説を読んだので、ちょっと箸休め的な本を読もうと思ったんですよね。
で、手に取ったのが、これ⤵
カバーをかけた状態で、本棚にさしてあったので、てっきり未読本かと思い、積読タワーに混ぜていました。
なんですけどね。
前回の記事を書きながら、昨年と一昨年に梅の写真を使ったかなあ……なんてのんきに過去記事をあさっていたら。
あるではありませんか!
『日本史のツボ』を読みました記事が!
え?
まだ、2年も経っていないんですよ?
どういうことですかね?
忘れっぽいというか、なんというか、もう立派な老化現象ではないですか?
てか、若年性認知症だったらやだなあ……。
まあでも。
再読してみたら、初読のときとは全然違うところに興味が向いたので、まあそれはそれでいっか~、と思うことにしました。
多分、今、必要だったから再読した! ということでいいんじゃないですかね。
歴史本のおやつ
この本は、学校の日本史でちょっと挫折感を味わった人間が、もう一回日本史を振り返るとき用……の本だと思います。
テーマ別に歴史を読むことで、全体を眺めることを目的にしているので、細部を追求することはやっていません。
なので、歴史本のおやつだと思います。
メインディッシュを読みたかったら、専門書を読んでね、ということで。
軍事から見る日本の章は、現代でも参考になる
「天皇」「宗教」「土地」「軍事」「地域」「女性」「経済」の7つのテーマごとに、日本史を語られておりますが。
私が現代でも参考にできると思ったのは、意外にも「軍事」でした。
ウヨかぶれの20代と話していて、口論になったのが、「歴史は勝者がつくるものだから、日本も軍事力を増強して強くならねばならない」という、かの主張。
確かに、歴史を書き残せるのは、生き残った側ですけどね。
そのあとの「軍事力強化」が、ちょっと疑問符で。
この本にもありますが、本当の軍事強国になるには、国民生活を犠牲にして、武器を買いまくったって、駄目なんですよね。
瞬間的にしか、武器が買えないじゃないか、と。
軍事行動を起こすにしても、兵站の問題があります。
戦争は、とにかく金がかかる。
その金を生み出せるくらい、国内経済が豊かでなければ、国内経済を豊かに出来るだけの人的資源がなければ、軍事強国にはなれないんですよ。
そういう意味で、戦国大名は国家経営を真剣にやっていたんですね。
金を生み出せる国づくりができなければ、武器も買えないし、兵も集められない。
食料を現地調達などという略奪をやらせていたら、占領地の民は従いませんから、軍事行動を起こしても、領地を広げることはかなわず、何も得られない。
戦国大名から学んでいれば、日本より経済規模の大きい、中国・ロシア・アメリカと戦争しようなんて思えないはずなんですけど、桶狭間とかから都合よく学んじゃうんだろうなあ……。
ロマンスの世界ですかね。
日本って、意外と統一国家じゃなかったのかもしれない
「地域」をテーマにした章で、関はどこにあるか、というのがとても興味深かったです。
愛発、鈴鹿、不破の三つの関の東が、関東(つまり中部地方より東)。
関の西は、関西ではなくて、中央であり、こちら側という感覚。
つまり、平安時代くらいまでの感覚だと、朝廷の支配地域は、近畿のちょい東から九州の福岡くらいまで……だったんですね。
関の東は、辺境の未開の地というわけで。
坂上田村麻呂をやったりして遠征したりもしてますが、正直、興味ないって感じで。
鎌倉幕府も、なんか地方政権っぽいようですし、室町幕府の勢力図なんて、下手したら京都とその周辺っぽいし。
秀吉が家康を江戸に国替えさせたのも、すっごい未開の地にやっておけば安心安全~、とかって勘違いしたっぽいし。
日本って、実は、中央政権が威張ってるふりをしているだけで、地域地域ではみんな好き勝手にやって、土地土地で実は地方政権やったりしている、まあそんな感じのゆる~い国家だったのでは?
統一国家になったのって、実は明治以降だったりして?
歴史史料って、やっぱり権力者が自分に都合のいいように書いてしまうので、そこに書かれていない行間を読むことが重要です。
だから地方って、おもしろ歴史ネタが、もっとたくさんあるような気がするんですよね。
あ、東京も地方ですが。
私は西日本生まれなので、東京の歴史(家康以前)とかよく知らないんです。
日本史というジャンルの中で、関東が、いかに冷遇されてきたか、ということですかね。
(え? お前が不勉強なだけだろうって?……^^;)
女性の歴史を考える難しさ
この本でも、日本史における「女性」の地位は、本当に低かったのか? という章がありまして。
著者の本郷和人氏によると、そうでもないんじゃないか? ということですけど。
私個人としましては、持統天皇やら北条政子やら日野富子やら、権力を持った女性陣の例を出せば出すほど、「やっぱり高くはなかったんじゃないですかね?」と思ってしまいます。
長い歴史の中で、ぱっと思いつく女性がそれくらい……という時点ですでに、女性の地位って低かったよね? と。
対する男性陣の名前は、掃いて捨てるほど、歴史上に出てくるわけですから。
清少納言とか紫式部にしても、彼女らの本名じゃないですからね。
男性陣は、結構本名が残っているのに、女性陣には名前がない。
それはやっぱり、社会的地位の差ではないでしょうか。
と思うんですけど。
どうですかね?
男と女で見ている世界が違う……というようなハッシュタグが、Twitter上にありましたけど。
それに近いものを感じました。
人権に関する意識も、日本人は目を瞑りがちですしね。
読書を無駄にしないために
今回、読んだことも忘れて再読していたので、どうすれば読書を無駄にしないか、結構考えました。
忘れちゃって、一冊の本を二度楽しめる……と思えば、それはそれでめっけもんなんですが。
でもできれば、読んだことのない本を読んで、世界を広げたい。
同じ再読するなら、過去に読んだことの確認をしつつ、新たな発見を得る……というような読み方をしたい。
この世にある本、すべてを読めるほど、人生は長くないのですから。
そう思った時に、やっぱり読んだ本の内容で、気になったところを書き出したり、自分で考えたことを書いたり、そういうメモノートをいかにつくるか、かなあと思ったんですね。
私も、1年ちょい前に『メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)』を読んで、それ以後、前田式メモ術を自分なりにやってますけど。
結局、読んだことからいかに考えて、自分の血肉とするか。
読んだ本を全部覚えていられるわけはないので、そういう方もたまにいらっしゃいますけど、要は自分の中に落とし込んで、いかにその読書経験を、自分のものにするか。
そういうことかなあと思います。
なので、今、昔の感想ブログ記事を読むと、薄っぺらくて恥ずかしいです。
だったら消せよ、なんですけど、それやりだすと、ブログなんてできなくなりますしね。
このブログも、はてなさんがサービスをやめるまでの、つかの間のものでしょうから。
ネット上に永遠なんてないですからね。
ということで、ここまでご一読いただきありがとうございました。m(_ _)m
どんな本でも、得られる学びは必ずあると思っていますので、これからもブログ更新、やっていきたいと思います。
今日が、明日が、より良き日でありますように。