ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

十二国記『月の影 影の海』は、なぜ「ネズミが出てくるまで読むのが辛い」のか、を考える。(ネタバレあります)

ほんのよこみちです。

コロナによる自粛がどうにもこうにもなので、十二国記シリーズを読むことに逃げています(^_^;)

 

日常が戻ってくる保証なんてどこにもないけど。

どんなに頑張っても最終的に死んでしまう未来はどうにもならないし。

だったらやりたいことをやって。

経済も回して。

なんか誰かのお役に立てればいいかなって。

 

ということで、『月の影 影の海』(上)(下)を再読いたしました。

 

月の影  影の海 (上) 十二国記 1 (新潮文庫)

月の影 影の海 (上) 十二国記 1 (新潮文庫)

 
月の影  影の海 (下) 十二国記 1 (新潮文庫)

月の影 影の海 (下) 十二国記 1 (新潮文庫)

 

 

月の影 影の海 (上) 十二国記 1 (新潮文庫)』は、十二国記を読む上での最大の難所だと思われます。

ファンの皆さんが、これから読む方に口をそろえて言う言葉が「ネズミが出るまで頑張って!」

うんうん、私も同感です。

最初に読んだとき、私もまだ20代半ばでしたが、すごく読むのが辛かったですもん。

 

ということで、なぜ「ネズミが出てくるまで辛いのか」を考えたいと思います。

 

以下、ネタバレありますので、ご注意下さい。

 

 

 

 

望まぬことを突き付けられて、しかも拒否権なし。

この小説は、平凡な高校生の中嶋陽子が、ある日、謎の金髪男に出会い、続けざまにバケモノに襲われ、異界に引きずり込まれてしまう……という、まあ30年ほど前のファンタジー設定から始まります。

十二国記シリーズはラノベ文庫でしたから、ね。

 

しかしこの小説、陽子が嫌だと言っても却下してくるし、そんな陽子に金髪男のケイキは舌打ちせんばかりだし。

個人の自由とか権利とか、そういったものがまるで無視された状態で、ストーリーが進むわけです。

しかも、バケモノに命を狙われてるし。

なにそれ? 状態。

 

再読で、だいたいの流れをうっすら覚えている状態で読んでも、え? こんな人権無視が許されるの? と、腹立たしくなってしまいました。

嫌や言うとるもんを、問答無用で連れ去るって、拉致やん? って。

権利侵害は許しがたいので、再読なのに「は?」「え?」って怒りのツッコミを入れまくってたし、反面、命の危機にだだをこねてる陽子にも、怒りがこみあげてきて。

 

しかも、そうやって異界に引きずり込んどいといて、ケイキの奴、行方不明になるし。

こはちょっと、けじめ取れてないというか。

 

まあ、最後まで読むと、行方不明の理由もわかるし、陽子とケイキの力関係上、奴にけじめ云々を求めるのは、奴からしたら不本意なのかもしれないですけどね。

 

(てか、この期に及んで、まだ未読の方を意識した文面になってますが、もう全開になってもいいかなあ……。以下、全開でいきますね)

 

 

読む側が、他者の親切をあてにする精神構造になっている。

でまあ、異界である十二国の世界に連れて来られた陽子ですが、ちょっと前向きになったりして、ケイキを探しつつ、この世界でやっていこうと考え始めます。

 

で、現地の人に会う。

現地は大災害の後で、しかもその災害は、陽子がこちらに渡ってきたときに起きたものだとわかり、いきなり役人につかまったり、殺されそうになったりします。

親切そうな人に出会っても、その親切には裏がある。

妖魔は次々に襲ってくる。

安心安全なんて、どこにもない。

その、これ以上ないストレス。

 

陽子は普通の女子高校生で、彼女の目線で世界が語られてゆきます。

読者も同じように、異界を放浪しているような感覚で読んでいきます。

 

見知らぬ土地で、親切な人に出会ったら、信用したくなるのが人情。

見知らぬ土地で、同郷人に出会ったら、仲良くしたくなるのが人情。

この小説は、そういった人情を根こそぎ破壊してくれますから、陽子に感情移入しながら読んでいると、辛いです。

 

でも、その人情って、そもそもなんなんでしょうね。

 

我々は、よく「普通」とか「常識」とかといった枕詞をつけて、他人の言動にあれこれ言いたくなるときがあります。

「普通はこんなことやらないよね」とか。

「それ、常識的に考えたら、こうするでしょ」とか。

 

私の周囲でよく聞かれるのが、「後輩が挨拶しない」とか。

「あの人は部下なんだから、上司(自分)の言うとおりにしてくれればいい」とか。

「あの人は上司なんだから、ちゃんと動いて、揉め事も解決くれないと困る」とか。

普通はこうするでしょ? の応酬。

 

でもそれって、単に自分にとっての都合のいい役割を、相手に求めているだけなんじゃないでしょうか。

自分が求めるものを相手に提供してもらって、気分よくしてもらいたい。

自分の立場を考えてもらったり、尊重してもらう資格が、自分にはある。

世界の中心は自分。

他者は、自分に利益を与えてくれる素材。

 

例えば、子どもの頃は、親や親族や学校の先生に従うのは当たり前、とされています。

親や親族や学校の先生が、自分たちの命を奪うことはしない、という前提で、当たり前はつくられていますし、それどころか、言うことを聞いておけば得になる、と考えて、多少理不尽なことでも従ってきています。

 

他者の判断をあてにして、自分はその旨みを享受するだけでいい存在だと思い込んで、考えることを放棄して、他者が思ったように行動してくれなければ、「ひどい」と被害者意識に浸る。

いつのまにか、そういう種類の人間になってきていませんかね。

 

確かに、親切なふりをして、相手を騙すことは、決して褒められたことではありません。

しかし、その人にはその人の都合があるわけですからね。

どんな親切も、その人の考えがあってなされるもので、100%こちらのためだけに動いてもらえる……なんて考えるのは、傲慢というものです。

 

というようなことを、半世紀生きていると、いろいろ経験しますのでね。

 

もちろん、心細いときには、誰かにすがりたくなるのが人の性です。

今も、こんなご時世ですから、誰かに安心安全な人生を示してもらって、何も考えずにそれにすがって、一生幸福に暮らしたい……と思いたくなる気持ちもわかります。

 

でも、そんな便利な誰かはいないし、一生幸福でいられる安心安全な人生なんて、存在しない。

 

そういう見たくない現実を突きつけられるから、「ネズミが出てくるまで辛い」のかもしれません。

 

あの時代の女子と男子に対する警告。

この作品が書かれたのは、バブルの頃です。

日本人がまだお金を持っていて、男が女にお金を使うのが当たり前とされていた時代。

アッシーくん(電話一本で、車でお迎えに来る男の子)、メッシーくん(ご飯をおごってくれる男の子)、ミツグくん(高価なプレゼントをしてくれる男の子)……なんて単語が流行った時代ですね。

 

私は田舎もんだし、性格のひねくれた人間だったので、そういう華やかな都会女子の世界は知りません。

でも、かわいい子はちやほやされるのが当たり前だったんだろうなぁと、当時の女子を見ていると思いますもん。

男性=自分にサービスしてくれる人、と信じて疑わない純粋さ。

見ている世界が違う……ということを、突き付けられます。

 

といいつつ、当時は男女雇用機会均等法がすでにあったにも関わらず、女子はクリスマスケーキにたとえられる状況でした。

女は24歳までに結婚しなければ、売れ残り扱い。

就職しても、どうせ2、3年で辞めるだろう……という扱われ方です。

 

まだまだ、家事育児は女の仕事という認識が一般的でしたから、寿退社は当たり前。

頑張って仕事を続ける先輩もいましたが、出産の壁は越えられず。

21時22時の残業が普通……というか、24時間戦えますかの時代ですから、子どもを保育園に預けながら働くのは、現実問題無理でしたよね、じじばばの手助けがなければ。

(もちろん、この問題は現在進行形の問題でもありますが)

 

そういう、まだまだ女は男に頼って生きていくのが当たり前だった時代。

男が女にサービスするのが当たり前だった時代。

その時代の小説として、それも若い女子をターゲットとする作品として。

 

ちやほやされるのが当たり前と思ってたら、足をすくわれるよ、成長できないよ。

男に頼らず、自分で考えて解決していかないと、死ぬよ。

そういうメッセージが隠れているのではないのかなあ、と思うわけです。

 

だから、辛い。

甘えるな、と、突き付けられているから。

 

と同時に、一見か弱い女の子だって、こんなに強く成長するんだよ……という、当時の男子たちへの警告もあったかもしれません。

女子向けラノベでしたから、どこまで男子読者を想定していたかは、わかりませんが。

男に頼って、男の言いなりになって、男の庇護がなければ生きていけないような、男にとって都合のいい女ばかりじゃないんだぜ? という、ね。

 

なので、それまでの男女の固定概念に一石を投じようとしていた、そんな当時の世相を反映しているのかな、とも思いました。

 

変化というのは、それが仮に将来的な幸福につながるものであったも、最初はストレスに感じます。

ましてや自律を促すものは、か弱い自分に甘んじている身には、過酷な試練にしか見えません。

だから「やっぱり辛いよ」となるんですね。

だってもう、命を狙われるとか耐えられないし、人に裏切られたくないし、仲良くここでこじんまりと生きていければいいじゃん、って思っちゃいますからね。

 

ということで。

この本は、若いときに読むとより辛いかもしれませんが、しかし年とってから読むと本当に辛いので、一分一秒でも早く読み終えた方は、幸せ者だと思います。

何故なら。

辛さ以上に、得るものは多いと思いますしね。

 

少なくとも、ネズミと出会って以降のストーリーは、すっごく面白い!

皆の頼れる兄貴・延王尚隆も出てくるし、豊かな国とはこういうことか、と、ホント感心させられます。

フィクションじゃん? って?

でも、外国人が住みたいと思う国の方が、いい人材も集まるよねえ、人情として。

そういう意味で、人としての原点に立ち返ることのできる作品でもあります。

 

面白いですよねえ。

大好き。

十二国記の好きな方が、もっともっと増えてくれますように。

 

ちなみにうちの下の子は、「ネズミが出てくるまで頑張れ」と言い続けた結果、まだ途中で止まっています。

怖くて読めないって。

う~ん。

逆効果に働くとは、想定外でした。

その先が面白いよ~! って釣っているんですけどね(^_^;)

 

コロナ騒ぎの中でも、皆さまにより楽しい読書体験がありますように。

ありがとうございました。m(_ _)m