『名探偵ピカチュウ』は、ポケモンワールドの矛盾と真っ向から向き合った、面白い映画でした。
ほんのよこみちです。
映画『名探偵ピカチュウ』観てきましたよ~!
実写版でしかもピカチュウが男性の声でしゃべっている映画! なんて、最初は「大丈夫?」って思っていたんですけどね。
とても面白い映画でした。
私が面白いと思ったポイントは、3つあります。
現代感覚で論理的に理解できる世界設定をつくった
アニメのポケモンワールドって矛盾だらけじゃないですか?
野生のポケモンなのに、食物連鎖関係になっていなくて、みんな仲良くポケモンフード食べてるとか。
人間が命令してバトルさせるって、動物愛護の観点からすると、ちょっとアウトでは? とか。
バトルで弱っても決して死なないっていうのも、ちょっと都合良すぎるし。
それがポケモンワールドだって納得しているのが日本のファンかもしれませんが、その納得の仕方は思考停止に結びつきます。
なので、ポケモンの、セラピーアニマル的な部分に特化させた世界観というのが、この作品の特徴で、それはすごくいいなあと思いました。
セラピーアニマルとしての相棒ポケモンがいるのが普通な社会、って、それこそポケモンの世界じゃないですか?
「バトルは違法」という設定も、全然物足りなくなかったです。
「ピカチュウの冒険」と言いたくなるような、ピカチュウの名演技!
ピカチュウの演技は、ライアン・レイノルズさんがモーションキャプチャーでされているんですが、それがすごくいい!
人間くさいというか、その人間くささがすごくかわいいんですよね!
私は吹き替え版で見たので、ピカチュウの声は西島秀俊さんがあててらしたのですが、字幕版はライアン・レイノルズさんだそうです。
大谷育江さんのピカチュウがかわいいのはもちろんですが、コーヒー大好きなおじさんピカチュウもすごくかわいい!
そのピカチュウが、人間の主人公・ティムをからかったり、アクションしたり、ときに悩んだり、大冒険の数々を繰り広げてくれます。
ホントにかわいかったです!
親子の物語として描かれている
物語は、主人公・ティムのもとに父親の死を知らせる電話が入ったところから、始まります。
ティムは、離れて暮らしていた父親の住むライムシティ(人とポケモンが共存する街)へ向かい、父親の部屋で言葉を話すピカチュウと出会い、さらに父親の死亡事故に事件性があることを知り……という展開で、その事故の謎を探ろうとします。
ティムは幼いときに母親を亡くし、仕事のためにライムシティに出た父親からの誘いを振り切って、田舎で祖母と暮らすことを選んだんですね。
でも父親が死んでから、父親の部屋に行ってみると、そこには自分の部屋があって、幼いときにポケモンが大好きだった自分仕様に部屋がつくられている。
そういう親子の愛情のすれ違いというか、コミュニケーションの足りなさからくる不幸というか、そういうものから逃げていないのがいいなあと思いました。
実は、ブログ記事にし損ねた『バンブルビー』も、親子をテーマにした良質な映画だったので、やっぱりハリウッドはそういう型で物語をつくっていくんだろうなとは思います。
反面、日本の特にアニメには、親子よりも同世代の友人関係を中心にストーリーがつくられているというか、そもそも親の存在感が薄いものが多い気がします。
描かれないわけじゃないんですけど、あらたまって、親に向き合う若者が少ない。
今の子の親たちって、昭和時代の古臭い考えから抜け出せなくて、情報も使いこなせないくせに、昔のエゴを押し付けてくるめんどくさい生き物、かもしれないですけど。
無宗教の国民性ゆえの、宗教的倫理観のなさというか、人格レベルを上げる教育とは無縁の社会で、管理されることに慣れた人間ばっかりつくっちゃったせいというか。
ろくでもない親ばっかりじゃん、って若者が言いたくなるのもわかります。
私も、父親とはそりが合わないので、会ってません。
だから偉そうなことを言える立場じゃないんですけど、それでも。
人生のどこかで、一瞬でも親にも愛情があったかもしれないって感じることは、その後の人生をラクにしてくれると思うんですよね。
なので、ティムが事故死した父親の影を、父親の相棒だったピカチュウと追い求めるストーリーは、ティムにとっては人生を取り戻すことだと思うんですね。
母が死んで、父とも別居して、孤独だったティム。
映画の冒頭で、友人からカラカラ(孤児なポケモン)をすすめられてしまうティム。
ちょっと頼りないティムの頑張る姿が、とても愛おしかったです……って、私は草葉の陰の母親か⁉
ということで、下の子に誘われなかったら多分絶対観ていなかった『名探偵ピカチュウ』。
面白かったです。