吉川英治『三国志』(8)まで読み終わって考える、孔明の人間性と、明治男が戦時中に書いた歴史小説という現実。
ほんのよこみちです。
吉川『三国志』、ついに完結の8巻まで読み終わりました!
(というか、やっとこの記事を発表できます!)
長かったよ~。 1巻読み始めてから、半年以上かかってるじゃないか……💧
途中、現代史の本とかいろいろ読んだりしたので、まあ仕方ないんですが。
でも、学生時代には気づかなかった様々なことを、道草しながら考えることもできたので、自分的には充実した読書時間だったように思います。
諸葛孔明という人は、結局どういう人間だったのか。
なんかもう、誰も知らねえよって、ツッコミを入れたくなるようなことを、考えてますね(^_^;)
私としては、度重なる北伐が、どうしても納得できなかったので。
攻撃は最大の防御ってっても、補給の問題もあるし、魏をこてんぱんにぶったたいて壊滅させるのでなければ、北伐のメリットって薄いと思うんですよね。
小さな戦闘で勝って、拠点をいくつか抑えても、そこを永続的に支配できる基盤がなければ、結局は放棄せざるを得ないから。
無駄に人命を失って、糧食や武具を消費して、その分、蜀内部の農業は手薄になるし、武官と文官の意識断絶も起こりそうだし。
それでも、天下統一を夢見た孔明の支えは、亡き劉備との誓いだけだった……。
孔明は、他者を信頼したり、深く交流して学び合ったり、そういうことのできない人だったように思います。
実際、蜀には人材がいないと嘆いてはいたようですが、教育という発想はあんまりなかったんじゃないでしょうか。
もちろん、姜維やら馬謖やら、才能を見込んでかわいがっていた若手には、いろいろ教えていたようですがね。
孔明に限らず、曹操も孫権も、完成された逸材をヘッドハンティングする意識はあっても、未知数の若者を鍛え上げようという気は、さらさらない。
ま、そういうのは自己責任で、認められたければそれだけの学問をして当たり前っていうことなんでしょうね。
そして、孔明自身は努力の人ですから、できて当たり前の基準が高い。
自分には見えているモノが理解できない他者……。失望感も、相当あったのではないでしょうか。
そもそも諸葛亮という人は、幼い頃より苦労して各地を転々とし、戦乱も見、学問の道に入ることでつつましくも生きていこうとした人です。
各地を転々としているとき、共にいたのは継母と兄弟のようですから、生母とは幼くして別れ、無邪気な子ども時代とは縁遠い、抑圧的な少年期を過ごしていたものと思われます。
そんな彼が、継母とも兄とも別れ、弟とともに荊州に渡って、学問に邁進する。
学問は、諸葛亮にとって生きる武器であり、世の愚かさを教えてくれるものであり、孤独な青年の心を慰めてくれるものであったのかもしれません。
そんな諸葛亮青年を、三顧の礼で迎え入れてくれた劉備ですから、内心嬉しかったでしょうね、孔明は。
単に、自分の才能だけを欲する主君であれば、二度も追い返した時点で、腹を立てていたであろうに、劉備は孔明のペースを尊重してくれたわけですから。
才能だけではない、人間性を認めてもらった……みたいなとこでしょうか。
親ほど年上の、皇淑とも言われる人に。
多分、生まれて初めての、圧倒的な承認ですよね。
だから、劉備のために北伐して、劉備のために魏を倒したかったんですかね。
先帝の御意思という錦の御旗の前には、領民の思いとか、つつましい生活とかは、低俗なあさましいたわごとに思えたんでしょうね。
だって、遺児を託されちゃったんですから。
歴史にもしもはないですが、もし諸葛亮が恵まれた家庭の息子だったら、人が良いだけのヘタレ上司にここまで従ったかな、と。
北伐なんか繰り返さないで、兵士や領民の命を、もう少し大事にしたんじゃなかろうか。
そんなの、誰にもわかりませんけどね。
ただ、劉備がもっと長生きしていたら、絶対そんなのやらなかったと思うんですよね~。
劉備って、野望より目の前の安寧に流される人っぽいので。
なので、劉備の遺志というより、目標と手段をすりかえてしまった孔明の暴走……に見えてしまうのです。
吉川英治氏は、孔明大好きな血の気の多い明治男だった。
吉川『三国志』を読むと、吉川英治氏がいかに孔明好きだったかがよくわかります。
孔明死んだからもうおしまい、的な物語のはしょり方とか。
「篇外余禄」の「諸葛菜」も、語りたくてたまらない感じが全開です。
孔明の欠点をあげつらう愚か者は、それがことば遊びに過ぎぬことを思い知れ! みたいな感じで、ちょっと反対意見の封じ込めが怖すぎる……。
私がいろいろいちゃもんつけてる北伐も関しても、全面肯定派で、すこぶる好戦的で血の気が多い。
それもそのはず、『三国志』を吉川氏が書いている期間って、日中戦争から太平洋戦争にかけて……だったんですね。
連載は、台湾日日新聞。
明治男で当時40代の売れっ子作家だった吉川英治氏は、作家として従軍したことはあっても、一兵卒として弾のあたるところに出てはいないのでしょう。
ということを、読みながら思ってしまいました。
吉川『三国志』は、1800年くらい前の中国史をもとにした、日本人好みのフィクションではありますが、書かれた当時の社会と、地続きになっているんですね。
ひとりの英雄の出現を待つより、凡百の賢人を育てる努力を。
吉川『三国志』を読んだ結論が、コレです。
諸葛孔明は、確かに知将で英雄だったかもしれない。
しかし、彼ひとりでは物事は進まないんですね。
皆がひとりの英雄の指示を仰ぎ、ひとりの英雄の手足となって動くだけでは、英雄が斃れたときに、なにもできなくなってしまう。
英雄ほどの飛びぬけた才能がなくとも、ひとりひとりが自ら学び、考え、行動した方が、社会全体の前進を支えることができる。
そのための教育が、現代日本のように上意下達を是とするようになっちゃアおしまいヨ~、ということでしょうかね。
もちろん、全員が孔明や曹操を目指さなきゃいけない、なんてことはない 。
孔明の死後を託された、穏健派の蔣琬や費褘だって、後世に名が残ってはいませんが、賢人でしょう。
そういういろんな人がいてこその社会ですから、自分がなれそうな賢人を目指して、自らは精進していった方がいいし、他者に対しても、その人の向き不向きを考慮して、指導していくべき……という、非常に当たり前な結論が出てしまったのでした。
人間って、1700年以上経っても、あんまり変わらないことで右往左往しているなあ、という気はします。
でも少なくとも、教育の大切さだけは1700年前よりわかっているので、そこは進歩ですかね。
80年前の教育方法じゃあ駄目だってこともわかっているんですが、どうにもこうにも腰が重いのは、変革がストレスになるからでしょうか。
というようなところに落ち着いた、ほんのよこみち的吉川『三国志』考でした。
長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。m(_ _)m
結局、『三国志』の面白さって人間ドラマなので、小説も面白いなあとあらためて感じ入ったところです。
年末年始、小説を読みまくるのもいいですね。
ありがとうございました。m(_ _)m