ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

『パニック障害と過呼吸』を読んで、継続的な訓練こそが力になることを再認識する。

ほんのよこみちです。

不登校からひきこもりになった上の子が、ADHDと診断されたことは、以前も書かせていただきました。

 

www.honno-yokomichi.com

が、他にもパニック障害とも言われています。 

なので、読んだこの本。

 

パニック障害と過呼吸 (幻冬舎新書)

パニック障害と過呼吸 (幻冬舎新書)

 

 実は私も、外出する前とか映画を観る直前とかに、よく腹痛になるんですよね。

こういうのがパニック障害? とか思ってたんですが、全然違ってました。

 

パニック障害の発作とは、兆候があらわれてから10分以内に発作のピークが来るそうです。

なので、ゆるゆると「お腹痛い~」となる場合は、違うみたい。

 

うちの子は、電車や狭い空間に人がたくさんいるのが苦手なので、出かけるたびにへろへろになって帰ってきます。

途中の駅でトイレに駆け込んだり吐いたり……という話もよく聞きます。

学校の教室も苦手で……だから通えなくなったのかもしれませんが。

 

また過呼吸ですが、私はなったことないんですが、この状態の方に深呼吸をさせてはいけないんですね。

逆に、10秒くらい息を止めてもらって、リラックスを促しながら、鼻呼吸してもらうんだとか。

素人判断は危うい……という典型例ですね。

我が子が過呼吸になっているのかどうか、その現場に居合わせていないのでわからないのですが。

私と外出するときは、そこまで具合悪そうではないので。

でもまあ、うちの子に限らず、そういう現場に居合わせたら、深呼吸したら余計に苦しいってわかっているだけでも、まだ役に立つかな、と。

 

そんなパニック障害ですが、認知行動療法で改善すると、この本には書かれています。

うちの子はADHDもあるみたいなので、薬を使わずにいけるかどうかわかりませんが、継続的な訓練で状況が変わるとは、希望が持てますね~。

もちろん、何とかならんかなとは思っていたんです。ずっと。

でも、気力で何とかするしかない……みたいな意識は、どこかにあったので。

 

苦手な場所を回避する、というのは誰でもすることだと思います。

私もエレベーターは怖いので、なるべく乗らずにすむ方法を探してます。

高所恐怖症なので、びびって動けなくなるような場所には、絶対行きませんしね。

ただ、パニック障害の人は、その苦手な場所の感覚が、一気にそのほかの場所にも伝染してしまうようです。

うちの子も、もともと教室でじっとしているのが苦手だった上、中学でいじめがあったので、教室が苦手→狭い空間に人間がたくさんいて、逃げられないのが苦手→電車が苦手→飲食店で座って料理を食べるのも無理……と、広がっています。

なので、簡単にひきこもりになってしまう。

 

パニック障害過呼吸』の著者・磯部 潮氏は、認知行動療法で、自分の認知のゆがみの訂正と、少しずつ大丈夫なところから苦手に慣れる訓練をし続けることが大事だと、主張されています。

 

認知のゆがみの訂正とは。

パニックで死ぬことはないし、電車や飲食店でリンチに遭うこともないよ、というようなものですかね、うちの子の場合は。

まわりの人が暴力をふるってくることはほとんどないし、もし危険人物に遭遇しても、全員から見捨てられることなんて絶対ないから。

……今書いてて、DVのPTSDやなってすごく思いました。

子どもの頃の面前DVが、成長しても心の傷になっている。

こっちも治療対象だなって、根が深い問題です。

 

それでも生きていかないといけないので、苦手に慣れる訓練をし続ける努力が必要なわけです。

うちの子は幸いにも電車には乗れるので、もっと難易度の高い「教室」「飲食店での食事」でしょうか。

いきなり高いハードルを飛び越すなんてのは論外ですので、ホント、じれったいと思うくらいのレベルから、徐々に慣らしていくことが大切です。

学習だって、最初は基礎から順々にやりますよね。独学なら特に。

 

加えて、毎日やり続ける、ということ。

これは心当たりのある方も多いと思うんですが、毎日やらないと勘が鈍るってありますよね。

ブログだって、毎日更新している方の方が、絶対文章力も読ませる力もついています。

3日休むと体が動かないとか、聞きませんか?

すべからくそういうことなんですね。

 

結局、パニック障害であろうがなかろうが、継続努力に勝るものはないのでしょうね。

学校や会社が辛くて、休んだり辞めたりすることは、生きていく上で必要な手段です。

ただ、家で休んだままでいると、苦手な場所が加速度的に増えていくし、コミュニケーション能力も落ちてしまう。

コミュ力って慣れだそうですから。

家にいて、誰とも会話しないからコミュ力が落ちていくだけで、他人と会話をし続け、慣れていくことで、コミュ力って身につくそうですから。

 

 ひきこもりの人は、ひきこもるという行為自体で、自分自身を傷つけているということですが。

つまり、苦手な場所が増殖するに任せている上、コミュニケーション能力が落ちたことで他者に助けも求められず、常に恐怖におびえているということでしょうか。

 

社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)

社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)

 

 だから、心から幸せそうなひきこもりの人は見たことがない、ということなんですかね。

斎藤環先生、講演会で仰ってましたが。

 

社会とどうかかわるかとか、どういうかたちで生計を立てるかとか、もうそんなのは個人の自由だと思うんですが、でも苦しみからは解放された方がいい。

行きたいイベントに行けないとか、お腹が減って貧血おこしても我慢するとか、それは自由ではなくて不幸でしょう。

 

その不幸から脱するための、継続努力。

人生を変えるって、そういうことなんだなあと、思わずにはいられません。

 

やばいですね。

うかうかしていられない。

自分の人生を自分のモノにするために、段階的な継続努力ですよ。

 

とりあえず、やる。

これはモットーにした方がよさそうですね。