『名探偵コナンと平成』は、平成と自分の振り返るための、面白い本でした。
ほんのよこみちです。
我が子が買った本を、本人より先に読んでしまい、さらにはブログ記事にまでしてしまう……。
これがブロガーの業というやつでしょうか。
いえ、でも、すごく面白かったんですよ!
私は、子どもが『コナン』を見るついでに見る……という程度の視聴者でしかありませんが。
個人的に灰原哀ちゃんが好きなので、見れば見るほどつらい……というか。
この本は、『名探偵コナン』と平成を絡めたうんちく本というより、『名探偵コナン』に見る平成論という感じの本です。
『コナン』をざっくりとしか知らなくても、楽しめます。
さまざまな角度から、平成を読む
この本は「昭和」「通信機器」「映画」「犯罪者」「性(ジェンダー)」という5つのキーワードから、『コナン』の平成を読みます。
否、『コナン』から平成を読みます。
工藤新一の「平成のシャーロック・ホームズになる」というセリフが、こんなに時代性を引っ張ってくるなんて、正直、思ってもみませんでした。
平成とはどういう時代だったのか、このつかみどころのない30年を、こんなにも『コナン』が描いているとは、思っていなかったです。
そしてその時代性が、とてもわかりやすく論じられています。
平成末期の頃に、そういう振り返り番組とかTVでいろいろやってましたが。
この本で、十分おさらいができます。
反○○という思考の限界
この本では、スペインの哲学者、ホセ・オルテガ・イ・ガゼットについても触れられています。
私はよく知らなかったのですが『大衆の反逆』という著書に、反○○(つまり、昔で言うところのアンチ巨人とかですよね)という思考の限界が示されているようです。
自分の考えと相容れないAというものに対して、反Aとなるのは、Aがこの世に生まれる以前の世界を求めることで、それは古い時代を求めることになる。
しかし、どんなにAを否定しても、Aは生まれてしまうのだから、意味がない。
意味がない上、それでは新しい考えに前進することもできていない。
これは衝撃的でした。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い……にはならないようにしているつもりでも、嫌なことは否定したくなります。
実は、この本を読みながら、個人的に嫌な仕事をどうするか、悩んでおりました。
苦手なことをやって、おのれの無能さに打ちのめされるくらいなら、得意なことをやって、自分も周囲もハッピーな方がいいじゃん? って。
でもそれは、苦手な仕事の否定なわけで、否定からは前進できないのかあ……と思うと……(^_^;)
厳しいですよねえ。
人間は完璧ではいられないし、失敗もするし、壁にぶち当たったりもするんですが、そういう自分のヘタレなところから何を学ぶか、で。
思えば平成ニッポンって、おのれから学ぶことがへたくそな時代でしたね。
過去の戦争からはもちろん、バブル崩壊からも、グローバル化の波からも、満足に学べず、同じようなことを繰り返して地盤沈下し続けている。
もう、自戒しかありません。
同人誌のお手本になる
非常に個人的なことなのですが、先日【文学フリマへの道】というイベントに行ってから、自分の作りたい本ってなんだろう、とずっと考えています。
この本は、ネタの方向性としては同人誌と親和性が高く、ひとつのかたちとして、参考になるなと思いました。
著者のさやわかさんは、この本を書くために『名探偵コナン』のコミックス、テレビシリーズ、映画を全部見て参考にされているだけでなく、周辺のテクストも網羅されているわけですよね。
本を書くって、それだけのことをやって当然なんですよね~。
やってやりすぎることはない。
背筋の伸びる思いです。
読めて本当に良かったです。
この本に関わって下さったすべての方に感謝をこめて。
ありがとうございました。