『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』を観て考える、昭和生まれは平成をなかったことにしたいのかい?
ほんのよこみちです。
『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』を観てきました。
(同時に『リュウソウジャー』も見ましたけど……)
王様になりたい少年が、平成ライダーの力を手に入れることによって、強くなっていくというような、大雑把に言うとそういうストーリーの『仮面ライダージオウ』。
この映画はいわばマルチエンディングの一つといった感じで、さあどうなる⁉ という部分を描いています。
てか、いろいろ小ネタ満載で、思わぬ人が登場するし、とても全部回収できない!
なんですけど、いろいろ考えさせられる作品でした。
(以下、映画の内容に触れます。ネタバレ可能性あります)
歴史のあり方を問うている
戦国時代の合戦絵巻にゲイツ君が出てきたり、ああこれは『戦国自衛隊』だなと思ったんですよね~。
そんなストーリー展開の中で、歴史ってなんなのか、会話しているんですよ。
自分の知っている歴史は、本当に正しい歴史なのか。
これは、今だからこそ考えるべきテーマだと思います。
思うんですけど、とらえ方によっては、両極端にとらえられるわけで。
自分とは違う意見を攻撃する材料になるだけだったら、面倒だな。
歴史は、権力者によって歪曲されやすいので、その歪める心理を読むことも必要です。
昭和生まれが否定したがる平成時代は、美しくない
平成最後の仮面ライダーということで、なにかと平成時代を背負わされているんですよね。
彼らを攻撃する名目で、「平成をなかったことにする」みたいな。
でも、そもそもジオウのメンバーは平成生まれで、だから平成全部を知っているわけではなくて。
むしろ、平成30年をつくってきたのは、昭和生まれでは?
自分たちがつくってきた平成をリセットしたがるというのは、平成30年余が失敗だったって認めることなんですよねえ。
失われた30年。
何も成していない30年。
美しくない30年。
そんな時代を、後から生まれてきた子たちは、肯定するしかなくて。
というか、後から生まれてきた子たちに肯定してもらうことで、失敗をチャラにしようとしてませんかね?
希望としては、肯定の中で「美しくならなくていい」って、ジオウたちが言っていること。
バラバラで当たり前じゃん。
皆、一瞬一瞬を懸命に生きているのだから。
「美しい」という言葉の裏には、マスゲーム的な、個に対する抑圧が見え隠れするので、これを掲げるのは結構しんどいと思うんですよ。
結局は、美しくさせたい側の自己満足でしかなかったりするし。
小学校の傘立てに立てられた、傘の向きの統一、みたいな。
年長者が理不尽なことを言ってきても、自分で答えを出しているジオウたちを、応援したいですね。
思うとおりに生きよ
そういうような戦いの中で、出てくるんですよね。
思うとおりに生きればいい。
これ、言う方も、言われる方も、実行することも、なかなか難しいんじゃないかと思います。
わかっているけど、身動きが取れない。
わかっているけど、万一が怖くて常識に傾いてしまう。
そして、いざお手本のない状況に陥ったら、本当にどうしていいかわからなくて。
お手本のない状況の中で、右往左往して、結局過去の栄光にすがって何も成さなかった30年が、平成という時代です。
だからもう、好きにやっちゃえば? ということですかね。
昭和も平成も我慢我慢の時代で、なかなか思うとおりには生きられません。
でも、100歳まで生きられる保証なんかないんだから、今、思うとおりに、やりたいように生きた方が、幸せだと思うんですよ。
我慢貯金したって、死んだら終わり。
どんなに足を引っ張られても、出る杭として打たれても、自分が思うように生きた方がいいでしょ。
失敗したら、それもまあいい経験として、ブログのネタにするとか、体験記を書くとか、後々に講演活動するときのネタにするとか、使い道はいろいろあります。
武道だって、最初に練習するのは受け身の取り方ですもんね。技をかけられたときに、上手く転べるように。
一生懸命やっている人は、応援したくなる
『ジオウ』ももうすく放送終了ですが、この一年、レギュラーメンバーの方たちは、ホント、一生懸命演技されてたなあというのを、感じています。
最初はちょっとぎこちなかった部分も、まるごと含めて応援したくなります。
一生懸命って、すごく熱量があって、他者を惹きつけますよね。
だから、もうすぐ終わってしまうのが、寂しい気分。同じことを去年も思ったけど。
仮面ライダーって「若手俳優さんたちの、きらめきの一瞬を閉じ込めた作品」のように思います。
ここを経て、飛躍する方もいれば、最終的に俳優を辞めてしまう方もいます。
私は、上の子と平成初期ライダーを見ていたので、特にそういう光と影を感じるというか。
20年間のライダーたちの移ろいは、歴史の凝縮を見るようです。
栄枯盛衰は必須というか、老いは避けられないというか。
だからこそ、作品に関わったすべての方を応援したくなります。
おわりに
平成の間に、仮面ライダーというコンテンツは大きく様変わりし、このまま令和でも続いていくのでしょう。
でも、いい意味で、予想を裏切る作品に発展して欲しいですね。
今という時代性から、自由な発想を表現することは、難しくなっていくのかもしれませんが。
仮面ライダーが政治利用されたりするのは嫌だなって、それだけは思います。
『宮本武蔵』になってはいかん。
『桃太郎』になってもいかん。
時に能天気に、時にふざけ合いながら、ライダーたちが自由に生きられる作品として生き残ってほしいです。
次の『ゼロワン』も楽しみにしながら。
私世代は、ゼロワンっつうと『キカイダー』が来るんですけどね(;^_^A
(『携帯捜査官7』も好きでしたけど~!)
ありがとうございました。m(_ _)m