ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』を観て考える、昭和生まれは平成をなかったことにしたいのかい?

  f:id:honno-yokomichi:20190814003817j:plain

 

ほんのよこみちです。

『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』を観てきました。

(同時に『リュウソウジャー』も見ましたけど……)

zi-o-ryusoul.com

 

王様になりたい少年が、平成ライダーの力を手に入れることによって、強くなっていくというような、大雑把に言うとそういうストーリーの『仮面ライダージオウ』。

この映画はいわばマルチエンディングの一つといった感じで、さあどうなる⁉ という部分を描いています。

てか、いろいろ小ネタ満載で、思わぬ人が登場するし、とても全部回収できない!

なんですけど、いろいろ考えさせられる作品でした。

(以下、映画の内容に触れます。ネタバレ可能性あります)

 

 

歴史のあり方を問うている

戦国時代の合戦絵巻にゲイツ君が出てきたり、ああこれは『戦国自衛隊』だなと思ったんですよね~。

そんなストーリー展開の中で、歴史ってなんなのか、会話しているんですよ。

自分の知っている歴史は、本当に正しい歴史なのか。

これは、今だからこそ考えるべきテーマだと思います。

思うんですけど、とらえ方によっては、両極端にとらえられるわけで。

自分とは違う意見を攻撃する材料になるだけだったら、面倒だな。

歴史は、権力者によって歪曲されやすいので、その歪める心理を読むことも必要です。

 

昭和生まれが否定したがる平成時代は、美しくない

平成最後の仮面ライダーということで、なにかと平成時代を背負わされているんですよね。

彼らを攻撃する名目で、「平成をなかったことにする」みたいな。

でも、そもそもジオウのメンバーは平成生まれで、だから平成全部を知っているわけではなくて。

むしろ、平成30年をつくってきたのは、昭和生まれでは?

自分たちがつくってきた平成をリセットしたがるというのは、平成30年余が失敗だったって認めることなんですよねえ。

失われた30年。

何も成していない30年。

美しくない30年。

そんな時代を、後から生まれてきた子たちは、肯定するしかなくて。

というか、後から生まれてきた子たちに肯定してもらうことで、失敗をチャラにしようとしてませんかね?

 

希望としては、肯定の中で「美しくならなくていい」って、ジオウたちが言っていること。

バラバラで当たり前じゃん。

皆、一瞬一瞬を懸命に生きているのだから。

「美しい」という言葉の裏には、マスゲーム的な、個に対する抑圧が見え隠れするので、これを掲げるのは結構しんどいと思うんですよ。

結局は、美しくさせたい側の自己満足でしかなかったりするし。

小学校の傘立てに立てられた、傘の向きの統一、みたいな。

年長者が理不尽なことを言ってきても、自分で答えを出しているジオウたちを、応援したいですね。

 

思うとおりに生きよ

そういうような戦いの中で、出てくるんですよね。

思うとおりに生きればいい。

これ、言う方も、言われる方も、実行することも、なかなか難しいんじゃないかと思います。

わかっているけど、身動きが取れない。

わかっているけど、万一が怖くて常識に傾いてしまう。

そして、いざお手本のない状況に陥ったら、本当にどうしていいかわからなくて。

お手本のない状況の中で、右往左往して、結局過去の栄光にすがって何も成さなかった30年が、平成という時代です。

だからもう、好きにやっちゃえば? ということですかね。

 

昭和も平成も我慢我慢の時代で、なかなか思うとおりには生きられません。

でも、100歳まで生きられる保証なんかないんだから、今、思うとおりに、やりたいように生きた方が、幸せだと思うんですよ。

我慢貯金したって、死んだら終わり。

どんなに足を引っ張られても、出る杭として打たれても、自分が思うように生きた方がいいでしょ。

失敗したら、それもまあいい経験として、ブログのネタにするとか、体験記を書くとか、後々に講演活動するときのネタにするとか、使い道はいろいろあります。

武道だって、最初に練習するのは受け身の取り方ですもんね。技をかけられたときに、上手く転べるように。

 

一生懸命やっている人は、応援したくなる

『ジオウ』ももうすく放送終了ですが、この一年、レギュラーメンバーの方たちは、ホント、一生懸命演技されてたなあというのを、感じています。

最初はちょっとぎこちなかった部分も、まるごと含めて応援したくなります。

一生懸命って、すごく熱量があって、他者を惹きつけますよね。

だから、もうすぐ終わってしまうのが、寂しい気分。同じことを去年も思ったけど。

 

仮面ライダーって「若手俳優さんたちの、きらめきの一瞬を閉じ込めた作品」のように思います。

ここを経て、飛躍する方もいれば、最終的に俳優を辞めてしまう方もいます。

私は、上の子と平成初期ライダーを見ていたので、特にそういう光と影を感じるというか。

20年間のライダーたちの移ろいは、歴史の凝縮を見るようです。

栄枯盛衰は必須というか、老いは避けられないというか。

だからこそ、作品に関わったすべての方を応援したくなります。

 

おわりに

平成の間に、仮面ライダーというコンテンツは大きく様変わりし、このまま令和でも続いていくのでしょう。

でも、いい意味で、予想を裏切る作品に発展して欲しいですね。

今という時代性から、自由な発想を表現することは、難しくなっていくのかもしれませんが。

仮面ライダーが政治利用されたりするのは嫌だなって、それだけは思います。

宮本武蔵』になってはいかん。

『桃太郎』になってもいかん。

時に能天気に、時にふざけ合いながら、ライダーたちが自由に生きられる作品として生き残ってほしいです。

 

次の『ゼロワン』も楽しみにしながら。

私世代は、ゼロワンっつうと『キカイダー』が来るんですけどね(;^_^A

(『携帯捜査官7』も好きでしたけど~!)

ありがとうございました。m(_ _)m