【詩人・大崎清夏さんと巡る世界の詩】の第3回は、佐峰存さんの講義が非常に濃厚で、こんなに教えていただいていいんですか?回でした!
ほんのよこみちです。
1/12(日)、赤坂の双子のライオン堂さんで開催された【詩人・大崎清夏さんとめぐる世界の詩 第3回:詩ブレイクビーツ世代のアメリカ詩】に参加してきました。
シリーズ〈詩人 大崎清夏と巡る世界の詩〉第3回、はじまりました!満員御礼! pic.twitter.com/bizwkWZsWk
— 双子のライオン堂(「しししし3」は来年春!予定) (@lionbookstore) 2020年1月12日
- 佐峰存さんの英米詩(詩形)変遷の歴史講義が、とてもわかりやすく濃厚で面白い!
- 歴史的位置づけと背景を知ることで、作品を深く読むことができる。
- 今回ご紹介の3詩人の戦い。
- 人は身近に感じるものに親近感を抱き、興味を持つから、想像力を働かせよう。
- 詩は理解できるのか?
- おわりに。
佐峰存さんの英米詩(詩形)変遷の歴史講義が、とてもわかりやすく濃厚で面白い!
今回の最大の目玉が、ゲストの佐峰存さんの英米詩史講座ではないでしょうか。
文章で書くと、すご~く堅苦しい講義みたいですけど、とにかくわかりやすくて面白かったです。
どれくらいわかりやすかったかというと、英米文学を全く真面目にやってきていない50歳でも、面白く感じてついていけたくらいにっ!
文学史というと、中学高校時代の受験勉強を思い出したりしてしまいます。
20世紀前半の第一次モダニズムの基本の3人……なんてのを見ると、エズラ・パウンド、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、T・S・エリオット、の名前にピンクのマーカーを引きたくなったり(^_^;)
「ここ、テストに出るから~」なんて、今も学校でやってるんだろうなあ。
でも、佐峰存さんの講義では、「なぜ詩に定型があるのか」「どういう状況で詩形が崩れていくのか」を、論理的に説明して下さるので、わかりやすいんですね。
「昔は口頭で詩を伝えるのが普通だったから、覚えやすくするために定型があった」
「インターネットの活用で、誰でもタダで詩を発表できるようになったから、詩の民主化が進んだ」
というように説明されると、なるほどって思いますよね。
論理的に頭に入っていくから、素人でも話についていける。
順序立ててお話しいただくことで、わずか40分ほどでアメリカ詩史をマスターすることができました!
詩も歴史も好きな者からしてみると、とてもありがたい濃厚な40分でした!!
正直、こんなに教えていただいていいんですか? 追加料金いりませんか? と思っちゃいましたよ。
もう、佐峰存さんのファンになっちゃいました♬
歴史的位置づけと背景を知ることで、作品を深く読むことができる。
佐峰さんが、こんなにも懇切丁寧に詩史を教えて下さった背景には、詩を理解するために、その詩の歴史的な位置づけを理解する必要がある、という欧米の常識があるからだと思います。
これは、村上隆氏の『芸術起業論 (幻冬舎文庫)』で読んだことですが、日本人はそういう感覚が疎いんですよね。
たとえば、日本の文学史がどういう流れできているかって、学校の授業で習った程度の知識は、まあありますけど、結局、試験に出ないものは覚えていない。試験に出ても、試験が終われば忘れてしまう。そんな感じで(^_^;)
村上春樹の小説の、日本文学史における立ち位置は……なんて考えながら、読んでない。せいぜい、ノーベル文学賞に近いと思われる人、という程度で。
もちろん、専門家の方はそうじゃないのかもしれませんが、素人は、歴史の中の作品ではなく、作品単体に焦点を当てて楽しもうとする。
でもそれだと、欧米の方々と対等に、芸術について話ができませんよということですね。
島国・日本人のある種ものぐさなところなんですが、みんな同質という意識が強いもんだから、「説明しなくてもわかるでしょ」となる。
何故? と考える訓練を怠ってきたから、「どうしても」とか「そういうものだから」とかと、なる。
結果、考えることを放棄して、感覚で「好き」「嫌い」となってしまうのは、まあ私なんですが、だから作品の良さを言葉で表すことが苦手になっちゃうんですね。
でも、歴史的立ち位置や背景を知って、そこから作品に触れると、感覚とは違う情報が返ってくるわけです。
好きではない詩形であっても、時代性を読み解くことで、別の理解が生まれるし、好きな詩であればなおさら、詩人の生きている時代・社会・背負っている歴史を、感じることができる。
過去の戦争が与えた傷とか、社会体制の違いが及ぼす個人への抑圧とか、差別とか。
作品が現実と地続きであるということを、否定する日本人もいるようなので、まあだから海外への売り込み方が下手なようなんですが。
ガラパゴス化する危機感というのを、考えずにはいられません。
ということを、お話を聞きながら考えました。
今回ご紹介の3詩人の戦い。
今回の講座でも、三人の英語詩を書く詩人さんをご紹介いただきました。
オーシャン・ヴォングさんと、パトリシア・ロックウッドさんと、イリヤ・カミンスキーさんです。
オーシャン・ヴォングさんは『て、わた し第2号』で、イリヤ・カミンスキーさんは『て、わた し第5号』で紹介されている詩人です。
1年くらい前に、両方とも読んで記事にしているのですが、特に最初に読んだ第5号は、記事があまりにひどいので、もう消したいくらいひどい( ;∀;)
なので、今回あらためて読む機会が得られたのは、とてもありがたいことです。
イリヤ・カミンスキーさん
イリヤ・カミンスキーさんは、旧ソ連のウクライナ生まれで、幼少期にアメリカに移住されているという、このことだけでも、かなりの苦難を想像できます。
というかソ連崩壊前であったら、移住って亡命では? とか思ったり。
となると「ヨシフ・ブロツキーへの哀歌」という詩の環境が、とても厳しいものに見えますね。
難聴という障害も相まって、それでも朗読をロシア語風にされていて、生きる強さを感じます。
オーシャン・ヴォングさん
オーシャン・ヴォングさんは、ベトナムのホーチミン市生まれ。こちらも幼少期に、フィリピンの難民キャンプ暮らしを経て、アメリカに移住されています。
1990年に移住ということは、湾岸危機の頃ですね。
ベトナムが、ドイモイ政策(経済刷新政策)に舵を切っている時代ではありますが、戦争が続いたこともあり、今日のように経済発展しているわけではなく、ボートピープルと言われる難民が流出している時代でもありました。(と、今調べました)
「いつか僕はオーシャン・ヴォングを愛するだろう」には、儚さや迷いを感じます。
そこには、お父さんが家庭的な良い父親ではなかった故の、シングルマザーや祖母との暮らしの過酷さが、うかがえるような気がします。
なんてのは、私がシングルマザーでDV経験者だからですかね。
パトリシア・ロックウッドさん
アメリカ生まれの女性詩人で、21歳で結婚、大学で学ばずに執筆されている人だそうです。
「レイプばなし」という長い詩を紹介いただきましたが、すごく強い女性だなと思いました。
日本でも、セクハラや暴行が問題視されるようになりましたが、ちょっと前まで「問題を大きくする方が大人げない」みたいな空気、ありましたよね。
女性芸人の方のネタとして、セクハラギャグがあるような。
アメリカにも、ジョークとしてレイプジョークなるものがあるそうで、それに果敢に立ち向かう姿は、格好いいです。
ネットで発表された詩、というのも、希望を感じます。
人は身近に感じるものに親近感を抱き、興味を持つから、想像力を働かせよう。
今回、上記の3詩人をなぜ選んだか、ということで、佐峰さんがご自身のアメリカお引越しの経験から、移住者であるイリヤ・カミンスキーさんに親近感を持った、ということを仰られていました。
詩に興味を持たれたのも、アメリカの学校で詩を学ぶ環境があり、関心を持ったというのが発端とのことです。
SNSで、タイムラインによく流れてくる人を、なんかよく知っている気になる、アレでしょうか。
なので、例えば同じ日本人だと価値観も同じだよね、みたいなノリでつながっていくけど、異質な外国人には途端に冷酷になりかねない、という怖さの裏返し。
身近なものに親近感を抱くのは、生物として当然の反応だと思いますが、それだけではなくて、いかに自分とは違う環境に生きている人を想像して理解するか、詩(文学)にはそれが必要ということですね。
今回の講座でも、想像力を働かせて……ということを、皆さん仰ってました。
親近感は、あくまで入り口。
そこにとどまらず、どんどん奥の面白い世界へと進むためにも、他者を理解しようとする想像力をいかに使うか。
想像力も力です。
力を持つ者には、持つが故の責任と覚悟が付きまとう。
自分と違う環境に生きてきた人も、尊重し、想像し、排除せずに理解しようと努める。
そういうことですね。
詩は理解できるのか?
ということで、質疑応答や感想を言う時間に、「詩の言葉には二重三重の意味が込められている」というお話をうかがいまして。
不安になりました。
果たして、そんな深い意味を私は理解できる?
多分、否、絶対できない!
と考えたときに、自分はなぜ詩が好きなのか、という命題にぶち当たりました。
わからないものを、あれこれ考えながら、読んでいく(でもわからない)、その感覚を楽しみたくて。
実は、これ⤴が本音です。
そもそも、理解する気がない( ̄▽ ̄;)
二重三重の意味になど、到達できるはずがない。
でも、素人には素人なりの楽しみ方があった方が、詩の文化としての裾野は広がると思うし、多様性ということでいいことにしてほしいなあ、という願望。
ただし、好き嫌いで判断するんじゃなく、理解できないならできないなりに、作品に敬意を払う必要性はあると思います。
それが、歴史的知識と想像力ですね。
どちらも日本人に足りないものなので、覚悟を決めなきゃいけません。
アホな感想をネットに垂れ流したら、世界中に自分のアホさをばらまいていることだよって、もうそういうことですよ。
で、できれば、素人にもわかる作品解説というのも、いろいろ欲しいなあと思いました。
教科書ガイド的ななにか?
詩は作品数が多いので、解説とか書き始めたら、とんでもないことになってしまいそう、まさにテキスト・ガイド。
世も末というか、文章読解力のなさもここまで来たか、という感じですが。
かつて詩の業界には結社があって、暗黙知を知る環境をつくって……という過去の伝統も、こういうアホを教育する目的があったんですね。
なら学習しようよ、それがいい。
おわりに。
今回の講座は、とても濃密な講義で、すごく面白かったです。
こういう講座があれば、また参加してみたいですね。
まあその前に、自分と詩の関係性を、もちっとなんとかしたいなあと思うんですが。
我が家の第二子からも「母さんってなんでも中途半端」との苦言も出ました。
そのとおり!
事実なので、中途半端道を究めたいと思います。
ありがとうございました。m(_ _)m