ほんのよこみち なブログ

元不登校の高校生と、ひきこもり→就労準備中の子を持つシングルマザーが、このくにで生きることを考えながら、本と好きなことを語ります。

【詩人・大崎清夏さんと巡る世界の詩】の第3回は、佐峰存さんの講義が非常に濃厚で、こんなに教えていただいていいんですか?回でした!

f:id:honno-yokomichi:20200113220019j:plain


ほんのよこみちです。

1/12(日)、赤坂の双子のライオン堂さんで開催された【詩人・大崎清夏さんとめぐる世界の詩 第3回:詩ブレイクビーツ世代のアメリカ詩】に参加してきました。

 

 

佐峰存さんの英米詩(詩形)変遷の歴史講義が、とてもわかりやすく濃厚で面白い!

今回の最大の目玉が、ゲストの佐峰存さんの英米詩史講座ではないでしょうか。

文章で書くと、すご~く堅苦しい講義みたいですけど、とにかくわかりやすくて面白かったです。

どれくらいわかりやすかったかというと、英米文学を全く真面目にやってきていない50歳でも、面白く感じてついていけたくらいにっ!

 

文学史というと、中学高校時代の受験勉強を思い出したりしてしまいます。

20世紀前半の第一次モダニズムの基本の3人……なんてのを見ると、エズラ・パウンドウィリアム・カーロス・ウィリアムズT・S・エリオット、の名前にピンクのマーカーを引きたくなったり(^_^;)

「ここ、テストに出るから~」なんて、今も学校でやってるんだろうなあ。

 

でも、佐峰存さんの講義では、「なぜ詩に定型があるのか」「どういう状況で詩形が崩れていくのか」を、論理的に説明して下さるので、わかりやすいんですね。

「昔は口頭で詩を伝えるのが普通だったから、覚えやすくするために定型があった」

「インターネットの活用で、誰でもタダで詩を発表できるようになったから、詩の民主化が進んだ」

というように説明されると、なるほどって思いますよね。

論理的に頭に入っていくから、素人でも話についていける。

順序立ててお話しいただくことで、わずか40分ほどでアメリカ詩史をマスターすることができました!

詩も歴史も好きな者からしてみると、とてもありがたい濃厚な40分でした!!

正直、こんなに教えていただいていいんですか? 追加料金いりませんか? と思っちゃいましたよ。

もう、佐峰存さんのファンになっちゃいました♬

 

歴史的位置づけと背景を知ることで、作品を深く読むことができる。

佐峰さんが、こんなにも懇切丁寧に詩史を教えて下さった背景には、詩を理解するために、その詩の歴史的な位置づけを理解する必要がある、という欧米の常識があるからだと思います。

 

これは、村上隆氏の『芸術起業論 (幻冬舎文庫)』で読んだことですが、日本人はそういう感覚が疎いんですよね。

たとえば、日本の文学史がどういう流れできているかって、学校の授業で習った程度の知識は、まあありますけど、結局、試験に出ないものは覚えていない。試験に出ても、試験が終われば忘れてしまう。そんな感じで(^_^;)

村上春樹の小説の、日本文学史における立ち位置は……なんて考えながら、読んでない。せいぜい、ノーベル文学賞に近いと思われる人、という程度で。

もちろん、専門家の方はそうじゃないのかもしれませんが、素人は、歴史の中の作品ではなく、作品単体に焦点を当てて楽しもうとする。

でもそれだと、欧米の方々と対等に、芸術について話ができませんよということですね。

 

島国・日本人のある種ものぐさなところなんですが、みんな同質という意識が強いもんだから、「説明しなくてもわかるでしょ」となる。

何故? と考える訓練を怠ってきたから、「どうしても」とか「そういうものだから」とかと、なる。

結果、考えることを放棄して、感覚で「好き」「嫌い」となってしまうのは、まあ私なんですが、だから作品の良さを言葉で表すことが苦手になっちゃうんですね。

 

でも、歴史的立ち位置や背景を知って、そこから作品に触れると、感覚とは違う情報が返ってくるわけです。

好きではない詩形であっても、時代性を読み解くことで、別の理解が生まれるし、好きな詩であればなおさら、詩人の生きている時代・社会・背負っている歴史を、感じることができる。

過去の戦争が与えた傷とか、社会体制の違いが及ぼす個人への抑圧とか、差別とか。

作品が現実と地続きであるということを、否定する日本人もいるようなので、まあだから海外への売り込み方が下手なようなんですが。

ガラパゴス化する危機感というのを、考えずにはいられません。

ということを、お話を聞きながら考えました。

 

今回ご紹介の3詩人の戦い。

 今回の講座でも、三人の英語詩を書く詩人さんをご紹介いただきました。

オーシャン・ヴォングさんと、パトリシア・ロックウッドさんと、イリヤカミンスキーさんです。

オーシャン・ヴォングさんは『て、わた し第2号』で、イリヤカミンスキーさんは『て、わた し第5号』で紹介されている詩人です。

しかも、イリヤカミンスキーさんの翻訳は、佐峰存さんです。

 

1年くらい前に、両方とも読んで記事にしているのですが、特に最初に読んだ第5号は、記事があまりにひどいので、もう消したいくらいひどい( ;∀;)

なので、今回あらためて読む機会が得られたのは、とてもありがたいことです。

イリヤカミンスキーさん

イリヤカミンスキーさんは、旧ソ連ウクライナ生まれで、幼少期にアメリカに移住されているという、このことだけでも、かなりの苦難を想像できます。

というかソ連崩壊前であったら、移住って亡命では? とか思ったり。

となると「ヨシフ・ブロツキーへの哀歌」という詩の環境が、とても厳しいものに見えますね。

難聴という障害も相まって、それでも朗読をロシア語風にされていて、生きる強さを感じます。

オーシャン・ヴォングさん

オーシャン・ヴォングさんは、ベトナムホーチミン市生まれ。こちらも幼少期に、フィリピンの難民キャンプ暮らしを経て、アメリカに移住されています。

1990年に移住ということは、湾岸危機の頃ですね。

ベトナムが、ドイモイ政策(経済刷新政策)に舵を切っている時代ではありますが、戦争が続いたこともあり、今日のように経済発展しているわけではなく、ボートピープルと言われる難民が流出している時代でもありました。(と、今調べました)

「いつか僕はオーシャン・ヴォングを愛するだろう」には、儚さや迷いを感じます。

そこには、お父さんが家庭的な良い父親ではなかった故の、シングルマザーや祖母との暮らしの過酷さが、うかがえるような気がします。

なんてのは、私がシングルマザーでDV経験者だからですかね。

パトリシア・ロックウッドさん

アメリカ生まれの女性詩人で、21歳で結婚、大学で学ばずに執筆されている人だそうです。

「レイプばなし」という長い詩を紹介いただきましたが、すごく強い女性だなと思いました。

日本でも、セクハラや暴行が問題視されるようになりましたが、ちょっと前まで「問題を大きくする方が大人げない」みたいな空気、ありましたよね。

女性芸人の方のネタとして、セクハラギャグがあるような。

アメリカにも、ジョークとしてレイプジョークなるものがあるそうで、それに果敢に立ち向かう姿は、格好いいです。

ネットで発表された詩、というのも、希望を感じます。

 

人は身近に感じるものに親近感を抱き、興味を持つから、想像力を働かせよう。

今回、上記の3詩人をなぜ選んだか、ということで、佐峰さんがご自身のアメリカお引越しの経験から、移住者であるイリヤカミンスキーさんに親近感を持った、ということを仰られていました。

詩に興味を持たれたのも、アメリカの学校で詩を学ぶ環境があり、関心を持ったというのが発端とのことです。

SNSで、タイムラインによく流れてくる人を、なんかよく知っている気になる、アレでしょうか。

なので、例えば同じ日本人だと価値観も同じだよね、みたいなノリでつながっていくけど、異質な外国人には途端に冷酷になりかねない、という怖さの裏返し。

 

身近なものに親近感を抱くのは、生物として当然の反応だと思いますが、それだけではなくて、いかに自分とは違う環境に生きている人を想像して理解するか、詩(文学)にはそれが必要ということですね。

今回の講座でも、想像力を働かせて……ということを、皆さん仰ってました。

親近感は、あくまで入り口。

そこにとどまらず、どんどん奥の面白い世界へと進むためにも、他者を理解しようとする想像力をいかに使うか。

想像力も力です。

力を持つ者には、持つが故の責任と覚悟が付きまとう。

自分と違う環境に生きてきた人も、尊重し、想像し、排除せずに理解しようと努める。

そういうことですね。

 

詩は理解できるのか?

ということで、質疑応答や感想を言う時間に、「詩の言葉には二重三重の意味が込められている」というお話をうかがいまして。

不安になりました。

果たして、そんな深い意味を私は理解できる? 

多分、否、絶対できない!

と考えたときに、自分はなぜ詩が好きなのか、という命題にぶち当たりました。

わからないものを、あれこれ考えながら、読んでいく(でもわからない)、その感覚を楽しみたくて。

 実は、これ⤴が本音です。

そもそも、理解する気がない( ̄▽ ̄;)

二重三重の意味になど、到達できるはずがない。

 

でも、素人には素人なりの楽しみ方があった方が、詩の文化としての裾野は広がると思うし、多様性ということでいいことにしてほしいなあ、という願望。

ただし、好き嫌いで判断するんじゃなく、理解できないならできないなりに、作品に敬意を払う必要性はあると思います。

それが、歴史的知識と想像力ですね。

どちらも日本人に足りないものなので、覚悟を決めなきゃいけません。

アホな感想をネットに垂れ流したら、世界中に自分のアホさをばらまいていることだよって、もうそういうことですよ。

 

で、できれば、素人にもわかる作品解説というのも、いろいろ欲しいなあと思いました。

教科書ガイド的ななにか?

詩は作品数が多いので、解説とか書き始めたら、とんでもないことになってしまいそう、まさにテキスト・ガイド。

世も末というか、文章読解力のなさもここまで来たか、という感じですが。

かつて詩の業界には結社があって、暗黙知を知る環境をつくって……という過去の伝統も、こういうアホを教育する目的があったんですね。

なら学習しようよ、それがいい。

 

おわりに。

今回の講座は、とても濃密な講義で、すごく面白かったです。

こういう講座があれば、また参加してみたいですね。

まあその前に、自分と詩の関係性を、もちっとなんとかしたいなあと思うんですが。

 

我が家の第二子からも「母さんってなんでも中途半端」との苦言も出ました。

そのとおり!

事実なので、中途半端道を究めたいと思います。

ありがとうございました。m(_ _)m

 

 

画像:makoto.hさんによる写真ACからの写真